ゼウス左足ト残宴ノユフベ
とうとう最後の一枚を消化。
もう会えることもないであろうゼウスの左足に最後の挨拶。
名残の夜を惜しみ、舐めるように愛でてきた。
このゼウスの左足は、仏像の変遷にどう向き合えばいいのかを自分なりに気づかせてくれた、私にとっては重要な、「失われた遺物」だった。
このゼウスの左足が日本へたどり着いたのも、恐らくその時期であったのだろう。
日本に保護されていた事を知った時の私の衝撃といったら、
東博 黄金のアフガニスタン展ニ涙ス
「自らの文化が生き続ける限り、
その国は生きながらえる」
いまやアフガニスタンだけでなく、西アジアでも宗教主義の名の下に古代遺跡が破壊されていくのも然して驚くほどのことでもなくなってしまった。
痩せこけた主義主張に古の人々が育んだ知性と文化は揺らぐことなどない。
瓦礫の山で見栄を張る信仰心など足元にも及ばないものがそこにはある。
信仰の清浄はすでに彼らを見放しているのだ。
先日閉幕したばかりのボッティチェリ展で記憶に新しい「パリスの審判」
嫉妬深い女神に投げ入れられた金のリンゴの争奪戦が引き起こす神話は
その後の歴史(?)を驚きの方向へ導く。
三人の中で誰が一番好みか(そうは言っていない)と、
熟女の挨拶代わり並の質問を投げかけられたトロイアの王子パリスは見返りの「愛」を選び、「あんたが一番」と記される金の林檎をアフロディーテへ手渡す。
ヘレニズムの時を経て、有翼に描かれるようになったのか。
果実を持つ女神像は何を表しているのか。
どれも、この土地の王都が変遷してきた時の流れの中にきちんとした理由があるのだ。
また、このドキュメンタリーで見た。日本で保護されていたゼウス神像の左足を含む流出文化財及び、カブール博物館の秘宝は東博アフガニスタン展と併せ、東京藝大の展覧会を通して、実物の殆どを観る事ができる。
展覧会後流出文化財は返還されれば、日本人はアフガニスタンへの立ち入りは当分できない事が見込まれているので、是非今のうちに見に行って欲しい。
メス・アイナク仏教遺跡、地下に眠る鉱床は、中国が30年の採掘権を獲得している。30年を待たずに資源は掘り尽くされて、取り返しのつかない真の砂漠になるのだろう。
2016年4月12日(火)― 6月19日(日)[ 入場無料 ]
東京藝術大学 大学美術館陳列館(東京都台東区上野公園12-8)
[ 開館時間] 9:30~17:00(入館は16:30まで)※月曜休館
バーミヤン東窟天井画に望みて
天駆る太陽神 中世イスラムの侵攻により他宗教が迫害、寺院の破壊が進められる中、イスラム教でも太陽神が最高神とされるため破壊を免れたと考えられている。
冊子の中央ページの見開きには、タリバンに破壊される前の大仏、在りし日の姿と、背後にはアレクサンドロスの行軍を怯ませたヒンドゥクシュの銀嶺が連なる。
なんて美しいのだろう。
月刊目の眼 2016年3月号 (戦禍をこえて 東と西をつなぐ古代美術)
アイハヌム・ゼウス像 想定復元 @東京藝術大学陳列館
藝大で想定復元されたゼウスの胸部までの像が現在公開されている。
ゼウス神像左足の実物は連動する東博のアフガニスタン展で日本に限って公開されているが、サンダルのハナオ部分(これが多くを語る大事な部分)から爪先の約30センチほどの大理石製破片。
東京藝術大学アフガニスタン特別企画展」
東京藝術大学 大学美術館陳列館 2016年4月12日(火)― 6月19日(日)
「アイハヌム・ゼウス像」の想定復元は、藝大に拠点を置く研究室が世界中に残るゼウス像の形態を研究し尽くした結果として復元されたそう。
そう言われてから改めて東博展示の遺物を見てみると、本当だ、確かに土踏まずのあたりから微妙に傾斜しているのです。
個人的にもつ、豊かな髭を蓄え、少し年配のゆったりした貫禄をもつゼウスのイメージとは少し違うのだけど、ギリシア彫刻の流れを直流で受け止め、
今まさに活気ある都市が求めた大神像とは、誰にも勝る瑞々しさと力強さの象徴たるものだったに違いない。
その後東伝する宗教彫像文化を、習俗を、どれだけ動かした事だろうと思うと、その胸にすがりつきたくなる。
研究室の皆様、良い仕事をしてくださった。
ボッティチェリ展@東京都美術館
本来ならそこそこ空いているはずの時間帯を狙ったはずが、なかなかの人出。
前日にタモリさんがタモリ倶楽部で突然告知したらしい。『突然告知』だ。
おてて繋いだカップルがやたら多かったのはそのせいだろうか。
2016年1月16日(土)~ 4月3日(日)
東京都美術館
Dante Scared by Wild Beasts. Illustration of Canto I of the Divine Comedy
バッチョ・バルディーニ(おそらくサンドロ・ボッティチェリの下絵に基づく)
猛獣たちに驚くダンテ(『神曲』「地獄篇」第1歌の挿絵)1480-81年頃
Florence, Gabinetto Disegni e Stampedegli Uffizi
上の第1歌、画面左にうつむく人物。ダンテが何時、なぜこの様な事になっていたのかを説く重要な最初の3行だ。
我らの人生を半ばまで歩んだ時
目が覚めると暗い森の中をさまよっている自分に気づいた。
まっすぐに続く道はどこにも見えなくなっていた。
(『神曲』「地獄篇」訳 原基晶 講談社学術文庫 2014 (地・1・1-3))
そして、その暗い森を抜け、その先に神の正しい導きを象徴する太陽の光線で照らし出される救いの丘を見出す。時制で描き出される画面上方いっぱいにシャワーの様な勢いでその光が描かれている。
空を見上げると、丘の両肩が
あらゆる道で人を正しく導く
あの星の光をすでにまとっていたのが見えた。
(同上 地・1・16-18)
それでも不安をもった心理状態のままにも丘の麓登っていくが、間も無く行く手にはその道行きを阻む3頭の獣が次々現れる。
画面右より傾斜する丘への道なりに驚き踵を返そうとするダンテの姿が描かれている。3頭は、羨望の罪を表す雌豹、高慢の罪を表す獅子、貪欲な雌狼だ。それらは襲うそぶりを見せてはダンテを来た道へ押し戻す。ダンテは恐怖から先へ進む気力を失ってゆき、にわかに現れた霊に助けを求める。
これが、その姿から発する恐怖のために
私を押し潰し、
ついに私は高みにまで登る希望を失った。
(同上 地1 52-54)
(中略)
破滅の淵へと私が堕ちかかっていた途中、
眼前に不意に現れたのは、
長い沈黙ゆえにかすれて見える方だった。
(同上 地1 61-63)
画面中央、木立から姿を現しているのが、この後ダンテの導き手として、かつ理性の象徴として深く大きな意味を担う古代ローマの詩人、ウェルギリウスだ。
たが、おまえはなぜあの苦しみに戻るのだ。
なぜ心を満たす山を登らぬのだ。
それこそが完全な喜びのはじまりであり、その理でもあるのに」。
(同上 地76-78)
(中略)
「おまえは別な旅をせねばならぬ、
ー私が涙を流しているのを見てから、その方は答えたー
人のものならぬこの場所を逃れたいと思うのならば。
(同上 地1 91-93)
ここに言う「この場所」に現れた3頭の獣はそれぞれの罪が、ダンテが失望し道を見失う事となった現世、大都市となったフィレンツェの次元でもある。その中で自らが堕ちていく可能性のある罪を知り、正しい道を取り戻すための旅だ。
たった一枚の挿絵の中には、これだけの大きなバックグランドが込められている。
バッチョ・バルディーニ(おそらくサンドロ・ボッティチェリの下絵に基づく)
ダンテにベアトリーチェの出現を示すウェルギリウス(『神曲』「地獄篇」第2歌の挿絵)
Baccio Baldini (possibly after a drawing by Sandro Botticelli)
Virgil Showing Dante the Appearance of Beatrice. Illustration of Canto II of the Divine Comedy 1480-81年頃 フィレンツェ、ウフィツィ素描版画室
けれども私は、いかなる使命で彼の地に赴くのですか。誰がそれを許すのですか。
私はアエネーアースではなく、私はパオロでもなく、
私がそれにふさわしいとは、私自身も他人も思っていないのです。
(同上 地2 31-33)
この先目の当たりにする地獄は、様々な罪とそれ等に神が下した裁きの世界。過去に生身のまま地獄のその有様を見知ったのは名高き聖人と英雄のみ。そこに己が連なる資格があろうはずがないというのだ。
そのダンテにウェルギリウスが旅の意義、導き手となった理由を打ち明け、その正当性を表す。
私は宙吊りにされている者達に混じっていたが、
祝福に輝く高貴な女性が私を呼んだのだ。
そのご様子に命令を下すよう私からあの方に求めてしまった。
(同上 地2 52-54)
第2歌の挿絵中央には、天使のように空に浮かぶ女性像が現れている。
この女性像がダンテを神の御もとへ導くよう、ウェルギリウスへ使命を与えた存在。この後、『神曲』の中で彼女の存在意義は明らかにされ意味を深めていく。
あなたを差し向ける私はベアトリーチェ。
戻りたいと強く願っているあの場所から降りてきました。
愛こそが私を動かし、話をさせるのです。
(同上 地2 70-72)
キリストが生まれる前時代の高貴なる詩人ウェルギリウスは、『神曲』の世界では救済を得ることができない異端者(異教徒)だ。その彼が惹きつけられ、自ら従うことに身を投げ出した「神の恵み」の象徴。その彼女がなぜ異端者に導き手としての使命を授けたのか。この歌で『神曲』の舵は大きく切られているのだという。
こうして彼女の望むとおりにお前のところに来た。
美しい山へとすぐに続く道に立ち塞がった
あの獣の眼前からおまえを救い上げたのだ。
それなのに、これは何だ、何ゆえだ。なぜ躊躇する。
なぜ怯懦に心を巣喰わせる。
なぜ勇気と自由な心を持たないのだ。
(同上 地2 118-123)
この後ダンテは深い霧から目覚めたかのような言葉で歌を続け、再び歩み始める。その言葉の清々しさは音を伴うようだ。
そうして画面右奥に、罪の責め苦を目の当たりにしてゆく地獄への道が続いている。
地獄の門の頂に掲げられる言葉が第3歌の冒頭に続く。
私を通って悲しみの都に至り、
私を通って永遠の苦悩に至り、
私を通って失われた者どもの間に至る。
正義は高き造物主を動かしたり。
私をなしたるものは、神の力、
至高の知、第一の愛。
私の前に造られたるものはなし
永遠なる事物の他には。
そして私は永遠に続いていく。
あらゆる希望を捨てよ、ここをくぐるおまえ達は。
(同上 地3 1-9)
Botticelli e il suo tempo
Giovanni Argiropulo Aristotelis Logica translated into Latin
15世紀(1465-78年) 彩色写本
フィレンツェ、メディチェア・ラウレンツィアーナ図書館 Florence, Biblioteca Medicea Laurenziana
図録に装丁の写真が無かったのが残念。
当時本はまだ高価で、富裕層は私設の図書館を持ち、芸術家や学者などに提供し育てていた。文化や芸術への先進的な投資に揺るぎない豊かさがうかがえる。
サンドロ・ボッティチェリ 1470年代初頭
ペン、インク(尖筆の上に?)、茶色の水彩、青とスミレ色の顔料、羊皮紙
ラヴェンナ、クラッセンセ図書館 Ravenna, Biblioteca Classense
あなた方、散り散りの詩篇のうちに、
私の一部が今の私とは別人であり、
若く道を逸れていた間に
心の糧としていた、かすれた吐息の奏でる調べを聴く人々よ、
私が涙しつつ語る、虚しい希望と虚しい苦悩の間を
揺れ動く様々な文体のうちに、
愛を経験して知る人がいるならば、
許しだけではなく、憐れみをこそ見出して欲しい。
だが、今は私にもよくわかっている、長い間、どれほど
すべての人々の笑いものとなっていたかが。そのことでしばしば
私は自分のことを自分自身で思って深く恥じ入るのだ。
だからこそ、その恥こそは果実なのだ、
私の虚しい言葉の戯れの、悔恨の、この世での楽しきことなど
短き夢であることをはっきりと知ったことの。
- La Divina Commedia 地獄、煉獄、天国の三部構成。 詩人ウェルギリウスに案内され、地獄へ行くことにより三界を旅する物語。 ダンテ作。われ正路を失ひ、人生の覊旅半にあたりてとある暗き林のなかにありきhttp://www.aozora.gr.jp/cards/000961/card4618.htm.. 続きを読む
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『村上隆の五百羅漢図展』へ 重い腰をあげ
六本木ヒルズの森美術館は私立美術館の鏡だな。
会期中無休の上に、開館時間が火曜日以外は10:00-22:00。
18時にオフィス出たって、それから3時間は入り浸れる。ありがたい。
残された心配事は、森ビルの53階へ駆け上がる高速エレベーターで、
うまいタイミングで耳抜きが出来るか。という事だけだ。
五百羅漢図4部作は制作中のアトリエがメディアに公開される事もあって、
超大型作品となっていることは既知であった。
そもそも、その名の通り500人の被写体をくまなく描き出すのがその図像なのだから、
形式が変われど、それなりの大作になり得る主題ではある。
この度日本初公開となった、村上隆の五百羅漢図は高さ3メートルのパネルがものすごい数連ねられ、
各面25メートルの、全長100メートル
絵画として、その寸法を言われてもまったくピンとこない数字なのだ。
図録がまだ発売されておらず、出品リスト頼りに回想するので、作品名が一致していない可能性もあることをあらかじめ申し上げます。。。。
この展覧会、キャプションやタイトルを確認するという作業が、観覧中まったくわたしの中から消し去られており、今更リストを見て作品と一致できるものわずか、あとはどれのことをいっているのやら、、、という始末。
消失点の無い世界
直指人心 見性成佛
∞:727
ストゥーパ
神農の図
王座に鎮座する唐獅子
四天王
天空の城
如来降臨
生命の希望
渓流に咲く梅
ガネーシャ
自然の摂理
シシ神
2015 年
アクリル、金箔、プラチナ箔、カンバス、アルミニウム・フレームにマウント
240 × 3,045 cm
この作品自体もあまりに長すぎて奥でL字になって展示されてました。
その対面に円相シリーズがあった(はず)だが、、、、写真がなかった。
心、張り裂けんばかりに師を慕い、故に我が腕を師に献上致します
2015 年 アクリル、プラチナ箔、カンバス、アルミニウム・フレームにマウント
100 ×100 cm
作品名にぐっときたもので。この人、左利きなのかな。
アクリル、カンバス、板にマウント 302 × 2,500 cm 個人蔵
人としての幸せを見たような気がします。
個人的にも好きなモチーフや表現があり、お気に入りとなった。
金箔、カーボンファイバー 498.4 × 188.6 × 183.1 cm
開き直ったかの成金趣味。村上画壇の豊富な資金源が象徴されております。
海外にはこの大作現代アートを買いあげる人がいるのだな。もはやここまで観てくると、自分に一切の抵抗がなくなっている村上マジック。
Posted by Eriko Takahashi on 2015年12月5日
でも、この五百羅漢図は制作中からの自分とのお約束でもあったので、待ちに待ったというべきか。見てないものを好みでは無いといってはいけないと自戒の念を込め日本での公開を待っていた。
村上氏ご本人については、これまでに何度か日本画関連の講演会などでお話を聞くことがあった。(でも、実際に展覧会として作品を見たのは本当にこれが初めて)
日本中世の美術史から途絶えることなく明治期まで続いた狩野派画壇のビジネスモデルに強く関心を示されており、日本の画家が、画壇としてそれを引き継げていないことが、世界へ立ち向かえない一つの弱点であることも指摘されていたと思う。
この五百羅漢図4部作の大型作品の作製をわずか1年間で仕上げる為に、動員された弟子の数は延べ数百人だという。棟梁指揮の下、素材収集部隊、デッサン部隊、24時間作業のシフト化と、”延べ”という要員数がその組織化された分業制を想像させる。それは、展覧会でもその作業の過程を映像化し、また、収集された資料や下絵、指示書を、「残す」前提で作製た上で、公開していることにも明らかに思われる。
つまり棟梁が目指した日本画壇組織の成功例をここに知らしめたのだと思う。
展覧会はカメラを持ち込み、すべての作品が撮影可能、公開も自由となっている。
棟梁の大きな野望は果たされた上で、後はその画を前にして、観たものが何を感じるか、指をさして笑ったり、眉を寄せたりと、自由な発想を得ることが絵師にとっての最高の望みなのではないかと、なんともフレッシュな気分で鑑賞を終えた。
現代画というのは(日本画というにはまだ抵抗もあるが)、作品のプロセスが公となっているものに対して、なんの理解を求められているのかなどの勘ぐりは、彼らはまったく望んでいないのだ。
増上寺ニテ狩野一信五百羅漢図二再会ス
増上寺宝物展示室で開催中の『狩野一信の五百羅漢図展』に行ってまいりました。
いつかまたじっくり見たいと願い続けて、、、4年か。初公開されたのが2011年江戸東京博物館、あれは全100幅一挙公開という殺人的展覧会だった。
狩野一信の増上寺蔵 五百羅漢図 全100幅は、2幅対で外題があり、羅漢の日常から修行、救済、供養の様子を描いている。2幅のうちに各10人の羅漢が描かれ、それまでにあった羅漢の図像、構図を数多く学んだ上で、オリジナルの構図をストーリー立てているのだとのこと。各幅に描き出されている事物は馴染みのあるテーマの中にも、次々びっくりするような情景が描き込まれていて、飽きることなくその世界観の中に遊べる。
※すべての画像は主催者の許可をえて撮影をしております。
釈迦入滅の年、最も優れた遺弟500人の阿羅漢が集められ、釈迦が生存中に説かれた「法と律」を3ヶ月の内に韻文や詩にしてまとめた。これを第一結集といい、現在に伝わる経典の原点となったものだ。
阿羅漢は一切の煩悩を断じ、悟りを得た最高の聖者として、人々を感化善導する徳をもっている。その五百の阿羅漢を五百羅漢として信仰する。十六羅漢など唐代では古代密教の時代から信仰があり、10世紀には日本にも図像や造形物が多数招来されている。供養に応じてくれる高徳の聖人として庶民が信仰、供養するようになるのは、中世の禅宗が持ち込んでからになるのだろうか>>>勉強不足。。。。調べよう。
現在前期の展示は(2015年10月7日(水)~12月27日(日))は 第21幅~第40幅
20幅の外題は六道。 救済が描かれている。仏教は深刻な罪を犯しても彼らが救ってくれるのだ。。。よかった。
第21-24幅 地獄 第25-28幅 鬼趣
第29-30幅 畜生 第31-32幅 修羅
第33-36幅 人 第37-40幅 天
救済を待つ間にも、獄卒に追われ、鳥に喰われたり、氷の中でかなり寒い思いをしなくてはならない。火攻め、氷攻めは西洋の地獄観にも共通。でも、仏教は羅漢さんがきっと救ってくれる。
お盆におばあちゃんにお寺さんへ連れて行かれ見る六道絵とは、あまりにも様相が異なる。子供を連れて行っても怖がるどころか引きつけを起こすんではないだろうか。あぶない。
三面六臂(この絵では四臂)の阿修羅がここに
裳裾を翻す不穏の風は冷めた怒りを感じる
ただし、救ってくれない六道もある。
一信が思う救済、仏へ祈るという意味、その信仰の意味。現代の私たちが心して観なくてはいけないところだ。
修羅の終わりなき紛争は天の思惑ではない。争いを起こすものたちが天慮をおもんばかることができずに飽くことなく殺戮を繰り返す。それは聖人の救済による終息など望むべくもなく、自ずからがその愚かさに気づき、正しい道を見つけなければならない。
一信五百羅漢図の立役者(絵の中にいるわけではない)広瀬麻美氏のレクチャーと、トークショー。長年愛情をもってこの100幅に携わってこられた解説は貴重なものだった。
聖人の神変に驚き狂喜する猿とか
この方、本当に素敵な女性でした。美術史の方って本当に穏やかでいて、その情熱は愛がたっぷりでいいなー。
あったらしい美術館や展示設備って、ほんと環境が良くなりましたよねー。
最近、入館してから真っ先にそれに感動します。
隔てたガラスに映り込みがないととても集中して観覧できます。それが今回のような作品だと痛感。疲れ知らず。
鬼子母神さんとみっしり子供
こちらの増上寺本殿地下に本年4月に開設された宝物展示室もご多分にもれず完璧な作り。それどころか、なんだか妙に、いや異常に見やすい。
「なんだこの接近感は」と思ったら、展示されたお軸の高さが視線にぴったりなのです。この大幅に余分な高さがなく、一信の五百羅漢図にぴったりあわせて作られているのでした。それは後のレクチャーでその通り判明。この細密画が間近で鑑賞できるようにと、壁面は可動式になっており、よりガラスに迫り出すことができる。それによって起こる照明のムラも天井に設置されたミラーの反射で照度を調整しているのだそう。この五百羅漢図への厚遇に、こちらも授かれるとはありがたい。
※すべての画像は主催者の許可をえて撮影をしております。
着座でのトークショーにかの山下先生が飛び入り。これまた貴重な機会となりました。
一信の五百羅漢に出会ったのは、別冊太陽で山下先生監修の『狩野派決定版』。感慨深いよね。
増上寺宝物展示室 『狩野一信の五百羅漢図展』
http://www.zojoji.or.jp/takara/event/
前期:2015年10月7日(水)~12月27日(日)| 第21幅~第40幅展示
後期:2016年1月1日(金)~3月13日(日)| 第41幅~第60幅展示
トークショーの皆さん総プッシュの「村上隆の五百羅漢図展」@森美術館
こちらに次回会期で展示となる第49-50幅(だったかな)が現在みられるそう。
こちら。。やはり頑張れないようなきがする。。けど。。
この4部策が一堂に展会されることはもう二度と叶わない(色々物理的に不可能らしい)のだそうです。
絵師集団村上工房のターニングポイント。辻先生の講演などでよく耳にしていたので、公開の暁には実物をこの目で、と思っていたが、未だ少し腰が重い。制作過程の資料なども具に残されており、展示されているそう。日本美術界の歴史に名を残すという気概を感じる。この展覧会で写真撮影OKとのこと。棟梁の尊重すべき決断の他は、解釈自由ということか。でも、見に行くと思う。。。。来週。とか、再来週には。。。。
トークショーで紹介のあった、国内の五百羅漢像のうち、3箇所は私もお気に入り。
ブログ記事は以前使ったものから移動させなかったので川越のものしか残っていないけ(大したことは書いていない)どアルバムは復活させました。
▼京都 宇治 石峰寺
https://picasaweb.google.com/112032710675399999724/SekihojiUji2011326020?authuser=0&feat=directlink
まだ若冲ブームもこちらまでは達していなかった頃、撮影が許されていた当時のものです。
▼千葉県館山市の鋸山
https://picasaweb.google.com/112032710675399999724/NokogiriYamaTateyamaChiba?authuser=0&feat=directlink
久里浜の金山フェリーから館山の港へ入っていくと、独特な岩肌がそびえていて、登らずにはいられない眺めです。
▼川越のたび
http://itifusa.hatenablog.com/entry/2007/03/08/000000
参考文献:
山下裕二監修 別冊太陽日本のこころ131号『狩野派決定版』2004年
東京国立博物館『幕末の怪しき仏画ー狩野一信の五百羅漢図』2006年
図録『法然上人八百年御忌奉賛 五百羅漢 幕末の絵師狩野一信 増上寺秘蔵の仏画』2011年
水野弘元『仏教要語の基礎知識』春秋社 2007年新改定2版
中村元『ブッダのことばスッタニパータ』岩波書店 1991年