4k映像によるバーミヤンの豊かな景色を望む
公開もあと1週間となった藝大のバーミヤン天井壁画復元公開。
あの4K映像がもう一度観たくて、都合よく時間がつくれたので覗きに行ったら、前田先生がお出でだった!
そしてにわかに解説が始まり、すでに観覧者もだいぶいたけど、どんどん増えて室内は熱気むんむん。
緑豊かなバーミヤンの風景が4K映像で壁面一面のスクリ
その風景をくまなくご説明くださる前田先生。
現在のバーミヤンの平和で美しい4K映像を見ながら、地理を含め、玄奘さんの通った古道や中世イスラムの城塞に起こった史実など、この地に残る豊富なエピソードを交えてみっちり1時間に及びお話になられた。
さすがパワフル!
この会場で映し出されているバーミヤンの4K映像はすべて昨年から本年に渡って現地スタッフにより撮影された最新の姿。
荒れ果てた闘争の大地のイメージを払拭する平和で美しい土地と文化が復活しているのです。
石窟群向かいにある丘陵地からの景色。
東大仏の頭頂部まっすぐ上空に北斗星が位置する。
その意味が成すところにより、東西大仏の建立期論争にも進展が与えられた
東大仏の東側壁画
頭部むかって右側に、僧侶に先導されバルコニーへ降
初夏が近づけば、山脈からの豊富な雪解け水が、また大地を緑に彩ります。
平山郁夫氏が大仏の再建を反対した理由にはまだ多くの理由があるという。
バーミヤンの岩壁を切り出した大仏の石材はその土地の地質上、あまりにも脆い材質だった。破壊され残った断片をつなぎ合わせ再生するには莫大な費用がかかる。そのため、大仏再建の声が上がった時、コンクリートを使って新たに仏像を再建しようとしたのだそう。
左奥、山脈の手前にあるのがシャリ ゴルゴラ。「嘆きの
イスラムの城塞だったが、13世紀チンギスハンの侵攻と
嘆きの丘の頂からの眺め。
手前北より、画面中央の南へ向かう緑の道筋が、玄奘さん
東大仏頭頂部バルコニー位置からの眺め。
左にあるなだらかな窪地は5月頃になると山脈の雪解け水
そこで僧侶たちが沐浴をする、れっきとした仏教遺跡。
火焔仏とゾロアスター信仰との関係についてご説明中。これも重要な要素の一つ。
釈迦誕生譚の寄進についてのご説明される前田先生。
大仏の断片は現在も再建の時を待ち、大切に保存されているそう。現地の人々が望めば、いつかその再建の計画は動き出す。
今回の天井壁画複製によって、もろく扱いにくかった材質の研究も進み、コンクリートではない大仏の再建が望める。
破壊の無意味さを現代の智性の結集で指し示す時が来る。
玄奘三蔵、シルクロードを行く (岩波新書) 前田 耕作 (著)
2016年4月12日(火)― 6月19日(日)[ 入場無料 ]
東京藝術大学 大学美術館陳列館(東京都台東区上野公園12-8)
[ 開館時間] 9:30~17:00(入館は16:30まで)※月曜休館
ゼウス左足ト残宴ノユフベ
とうとう最後の一枚を消化。
もう会えることもないであろうゼウスの左足に最後の挨拶。
名残の夜を惜しみ、舐めるように愛でてきた。
このゼウスの左足は、仏像の変遷にどう向き合えばいいのかを自分なりに気づかせてくれた、私にとっては重要な、「失われた遺物」だった。
このゼウスの左足が日本へたどり着いたのも、恐らくその時期であったのだろう。
日本に保護されていた事を知った時の私の衝撃といったら、
東博 黄金のアフガニスタン展ニ涙ス
「自らの文化が生き続ける限り、
その国は生きながらえる」
いまやアフガニスタンだけでなく、西アジアでも宗教主義の名の下に古代遺跡が破壊されていくのも然して驚くほどのことでもなくなってしまった。
痩せこけた主義主張に古の人々が育んだ知性と文化は揺らぐことなどない。
瓦礫の山で見栄を張る信仰心など足元にも及ばないものがそこにはある。
信仰の清浄はすでに彼らを見放しているのだ。
先日閉幕したばかりのボッティチェリ展で記憶に新しい「パリスの審判」
嫉妬深い女神に投げ入れられた金のリンゴの争奪戦が引き起こす神話は
その後の歴史(?)を驚きの方向へ導く。
三人の中で誰が一番好みか(そうは言っていない)と、
熟女の挨拶代わり並の質問を投げかけられたトロイアの王子パリスは見返りの「愛」を選び、「あんたが一番」と記される金の林檎をアフロディーテへ手渡す。
ヘレニズムの時を経て、有翼に描かれるようになったのか。
果実を持つ女神像は何を表しているのか。
どれも、この土地の王都が変遷してきた時の流れの中にきちんとした理由があるのだ。
また、このドキュメンタリーで見た。日本で保護されていたゼウス神像の左足を含む流出文化財及び、カブール博物館の秘宝は東博アフガニスタン展と併せ、東京藝大の展覧会を通して、実物の殆どを観る事ができる。
展覧会後流出文化財は返還されれば、日本人はアフガニスタンへの立ち入りは当分できない事が見込まれているので、是非今のうちに見に行って欲しい。
メス・アイナク仏教遺跡、地下に眠る鉱床は、中国が30年の採掘権を獲得している。30年を待たずに資源は掘り尽くされて、取り返しのつかない真の砂漠になるのだろう。
2016年4月12日(火)― 6月19日(日)[ 入場無料 ]
東京藝術大学 大学美術館陳列館(東京都台東区上野公園12-8)
[ 開館時間] 9:30~17:00(入館は16:30まで)※月曜休館
バーミヤン東窟天井画に望みて
天駆る太陽神 中世イスラムの侵攻により他宗教が迫害、寺院の破壊が進められる中、イスラム教でも太陽神が最高神とされるため破壊を免れたと考えられている。
冊子の中央ページの見開きには、タリバンに破壊される前の大仏、在りし日の姿と、背後にはアレクサンドロスの行軍を怯ませたヒンドゥクシュの銀嶺が連なる。
なんて美しいのだろう。
月刊目の眼 2016年3月号 (戦禍をこえて 東と西をつなぐ古代美術)
アイハヌム・ゼウス像 想定復元 @東京藝術大学陳列館
藝大で想定復元されたゼウスの胸部までの像が現在公開されている。
ゼウス神像左足の実物は連動する東博のアフガニスタン展で日本に限って公開されているが、サンダルのハナオ部分(これが多くを語る大事な部分)から爪先の約30センチほどの大理石製破片。
東京藝術大学アフガニスタン特別企画展」
東京藝術大学 大学美術館陳列館 2016年4月12日(火)― 6月19日(日)
「アイハヌム・ゼウス像」の想定復元は、藝大に拠点を置く研究室が世界中に残るゼウス像の形態を研究し尽くした結果として復元されたそう。
そう言われてから改めて東博展示の遺物を見てみると、本当だ、確かに土踏まずのあたりから微妙に傾斜しているのです。
個人的にもつ、豊かな髭を蓄え、少し年配のゆったりした貫禄をもつゼウスのイメージとは少し違うのだけど、ギリシア彫刻の流れを直流で受け止め、
今まさに活気ある都市が求めた大神像とは、誰にも勝る瑞々しさと力強さの象徴たるものだったに違いない。
その後東伝する宗教彫像文化を、習俗を、どれだけ動かした事だろうと思うと、その胸にすがりつきたくなる。
研究室の皆様、良い仕事をしてくださった。
ボッティチェリ展@東京都美術館
本来ならそこそこ空いているはずの時間帯を狙ったはずが、なかなかの人出。
前日にタモリさんがタモリ倶楽部で突然告知したらしい。『突然告知』だ。
おてて繋いだカップルがやたら多かったのはそのせいだろうか。
2016年1月16日(土)~ 4月3日(日)
東京都美術館
Dante Scared by Wild Beasts. Illustration of Canto I of the Divine Comedy
バッチョ・バルディーニ(おそらくサンドロ・ボッティチェリの下絵に基づく)
猛獣たちに驚くダンテ(『神曲』「地獄篇」第1歌の挿絵)1480-81年頃
Florence, Gabinetto Disegni e Stampedegli Uffizi
上の第1歌、画面左にうつむく人物。ダンテが何時、なぜこの様な事になっていたのかを説く重要な最初の3行だ。
我らの人生を半ばまで歩んだ時
目が覚めると暗い森の中をさまよっている自分に気づいた。
まっすぐに続く道はどこにも見えなくなっていた。
(『神曲』「地獄篇」訳 原基晶 講談社学術文庫 2014 (地・1・1-3))
そして、その暗い森を抜け、その先に神の正しい導きを象徴する太陽の光線で照らし出される救いの丘を見出す。時制で描き出される画面上方いっぱいにシャワーの様な勢いでその光が描かれている。
空を見上げると、丘の両肩が
あらゆる道で人を正しく導く
あの星の光をすでにまとっていたのが見えた。
(同上 地・1・16-18)
それでも不安をもった心理状態のままにも丘の麓登っていくが、間も無く行く手にはその道行きを阻む3頭の獣が次々現れる。
画面右より傾斜する丘への道なりに驚き踵を返そうとするダンテの姿が描かれている。3頭は、羨望の罪を表す雌豹、高慢の罪を表す獅子、貪欲な雌狼だ。それらは襲うそぶりを見せてはダンテを来た道へ押し戻す。ダンテは恐怖から先へ進む気力を失ってゆき、にわかに現れた霊に助けを求める。
これが、その姿から発する恐怖のために
私を押し潰し、
ついに私は高みにまで登る希望を失った。
(同上 地1 52-54)
(中略)
破滅の淵へと私が堕ちかかっていた途中、
眼前に不意に現れたのは、
長い沈黙ゆえにかすれて見える方だった。
(同上 地1 61-63)
画面中央、木立から姿を現しているのが、この後ダンテの導き手として、かつ理性の象徴として深く大きな意味を担う古代ローマの詩人、ウェルギリウスだ。
たが、おまえはなぜあの苦しみに戻るのだ。
なぜ心を満たす山を登らぬのだ。
それこそが完全な喜びのはじまりであり、その理でもあるのに」。
(同上 地76-78)
(中略)
「おまえは別な旅をせねばならぬ、
ー私が涙を流しているのを見てから、その方は答えたー
人のものならぬこの場所を逃れたいと思うのならば。
(同上 地1 91-93)
ここに言う「この場所」に現れた3頭の獣はそれぞれの罪が、ダンテが失望し道を見失う事となった現世、大都市となったフィレンツェの次元でもある。その中で自らが堕ちていく可能性のある罪を知り、正しい道を取り戻すための旅だ。
たった一枚の挿絵の中には、これだけの大きなバックグランドが込められている。
バッチョ・バルディーニ(おそらくサンドロ・ボッティチェリの下絵に基づく)
ダンテにベアトリーチェの出現を示すウェルギリウス(『神曲』「地獄篇」第2歌の挿絵)
Baccio Baldini (possibly after a drawing by Sandro Botticelli)
Virgil Showing Dante the Appearance of Beatrice. Illustration of Canto II of the Divine Comedy 1480-81年頃 フィレンツェ、ウフィツィ素描版画室
けれども私は、いかなる使命で彼の地に赴くのですか。誰がそれを許すのですか。
私はアエネーアースではなく、私はパオロでもなく、
私がそれにふさわしいとは、私自身も他人も思っていないのです。
(同上 地2 31-33)
この先目の当たりにする地獄は、様々な罪とそれ等に神が下した裁きの世界。過去に生身のまま地獄のその有様を見知ったのは名高き聖人と英雄のみ。そこに己が連なる資格があろうはずがないというのだ。
そのダンテにウェルギリウスが旅の意義、導き手となった理由を打ち明け、その正当性を表す。
私は宙吊りにされている者達に混じっていたが、
祝福に輝く高貴な女性が私を呼んだのだ。
そのご様子に命令を下すよう私からあの方に求めてしまった。
(同上 地2 52-54)
第2歌の挿絵中央には、天使のように空に浮かぶ女性像が現れている。
この女性像がダンテを神の御もとへ導くよう、ウェルギリウスへ使命を与えた存在。この後、『神曲』の中で彼女の存在意義は明らかにされ意味を深めていく。
あなたを差し向ける私はベアトリーチェ。
戻りたいと強く願っているあの場所から降りてきました。
愛こそが私を動かし、話をさせるのです。
(同上 地2 70-72)
キリストが生まれる前時代の高貴なる詩人ウェルギリウスは、『神曲』の世界では救済を得ることができない異端者(異教徒)だ。その彼が惹きつけられ、自ら従うことに身を投げ出した「神の恵み」の象徴。その彼女がなぜ異端者に導き手としての使命を授けたのか。この歌で『神曲』の舵は大きく切られているのだという。
こうして彼女の望むとおりにお前のところに来た。
美しい山へとすぐに続く道に立ち塞がった
あの獣の眼前からおまえを救い上げたのだ。
それなのに、これは何だ、何ゆえだ。なぜ躊躇する。
なぜ怯懦に心を巣喰わせる。
なぜ勇気と自由な心を持たないのだ。
(同上 地2 118-123)
この後ダンテは深い霧から目覚めたかのような言葉で歌を続け、再び歩み始める。その言葉の清々しさは音を伴うようだ。
そうして画面右奥に、罪の責め苦を目の当たりにしてゆく地獄への道が続いている。
地獄の門の頂に掲げられる言葉が第3歌の冒頭に続く。
私を通って悲しみの都に至り、
私を通って永遠の苦悩に至り、
私を通って失われた者どもの間に至る。
正義は高き造物主を動かしたり。
私をなしたるものは、神の力、
至高の知、第一の愛。
私の前に造られたるものはなし
永遠なる事物の他には。
そして私は永遠に続いていく。
あらゆる希望を捨てよ、ここをくぐるおまえ達は。
(同上 地3 1-9)
Botticelli e il suo tempo
Giovanni Argiropulo Aristotelis Logica translated into Latin
15世紀(1465-78年) 彩色写本
フィレンツェ、メディチェア・ラウレンツィアーナ図書館 Florence, Biblioteca Medicea Laurenziana
図録に装丁の写真が無かったのが残念。
当時本はまだ高価で、富裕層は私設の図書館を持ち、芸術家や学者などに提供し育てていた。文化や芸術への先進的な投資に揺るぎない豊かさがうかがえる。
サンドロ・ボッティチェリ 1470年代初頭
ペン、インク(尖筆の上に?)、茶色の水彩、青とスミレ色の顔料、羊皮紙
ラヴェンナ、クラッセンセ図書館 Ravenna, Biblioteca Classense
あなた方、散り散りの詩篇のうちに、
私の一部が今の私とは別人であり、
若く道を逸れていた間に
心の糧としていた、かすれた吐息の奏でる調べを聴く人々よ、
私が涙しつつ語る、虚しい希望と虚しい苦悩の間を
揺れ動く様々な文体のうちに、
愛を経験して知る人がいるならば、
許しだけではなく、憐れみをこそ見出して欲しい。
だが、今は私にもよくわかっている、長い間、どれほど
すべての人々の笑いものとなっていたかが。そのことでしばしば
私は自分のことを自分自身で思って深く恥じ入るのだ。
だからこそ、その恥こそは果実なのだ、
私の虚しい言葉の戯れの、悔恨の、この世での楽しきことなど
短き夢であることをはっきりと知ったことの。
- La Divina Commedia 地獄、煉獄、天国の三部構成。 詩人ウェルギリウスに案内され、地獄へ行くことにより三界を旅する物語。 ダンテ作。われ正路を失ひ、人生の覊旅半にあたりてとある暗き林のなかにありきhttp://www.aozora.gr.jp/cards/000961/card4618.htm.. 続きを読む
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『村上隆の五百羅漢図展』へ 重い腰をあげ
六本木ヒルズの森美術館は私立美術館の鏡だな。
会期中無休の上に、開館時間が火曜日以外は10:00-22:00。
18時にオフィス出たって、それから3時間は入り浸れる。ありがたい。
残された心配事は、森ビルの53階へ駆け上がる高速エレベーターで、
うまいタイミングで耳抜きが出来るか。という事だけだ。
五百羅漢図4部作は制作中のアトリエがメディアに公開される事もあって、
超大型作品となっていることは既知であった。
そもそも、その名の通り500人の被写体をくまなく描き出すのがその図像なのだから、
形式が変われど、それなりの大作になり得る主題ではある。
この度日本初公開となった、村上隆の五百羅漢図は高さ3メートルのパネルがものすごい数連ねられ、
各面25メートルの、全長100メートル
絵画として、その寸法を言われてもまったくピンとこない数字なのだ。
図録がまだ発売されておらず、出品リスト頼りに回想するので、作品名が一致していない可能性もあることをあらかじめ申し上げます。。。。
この展覧会、キャプションやタイトルを確認するという作業が、観覧中まったくわたしの中から消し去られており、今更リストを見て作品と一致できるものわずか、あとはどれのことをいっているのやら、、、という始末。
消失点の無い世界
直指人心 見性成佛
∞:727
ストゥーパ
神農の図
王座に鎮座する唐獅子
四天王
天空の城
如来降臨
生命の希望
渓流に咲く梅
ガネーシャ
自然の摂理
シシ神
2015 年
アクリル、金箔、プラチナ箔、カンバス、アルミニウム・フレームにマウント
240 × 3,045 cm
この作品自体もあまりに長すぎて奥でL字になって展示されてました。
その対面に円相シリーズがあった(はず)だが、、、、写真がなかった。
心、張り裂けんばかりに師を慕い、故に我が腕を師に献上致します
2015 年 アクリル、プラチナ箔、カンバス、アルミニウム・フレームにマウント
100 ×100 cm
作品名にぐっときたもので。この人、左利きなのかな。
アクリル、カンバス、板にマウント 302 × 2,500 cm 個人蔵
人としての幸せを見たような気がします。
個人的にも好きなモチーフや表現があり、お気に入りとなった。
金箔、カーボンファイバー 498.4 × 188.6 × 183.1 cm
開き直ったかの成金趣味。村上画壇の豊富な資金源が象徴されております。
海外にはこの大作現代アートを買いあげる人がいるのだな。もはやここまで観てくると、自分に一切の抵抗がなくなっている村上マジック。
Posted by Eriko Takahashi on 2015年12月5日
でも、この五百羅漢図は制作中からの自分とのお約束でもあったので、待ちに待ったというべきか。見てないものを好みでは無いといってはいけないと自戒の念を込め日本での公開を待っていた。
村上氏ご本人については、これまでに何度か日本画関連の講演会などでお話を聞くことがあった。(でも、実際に展覧会として作品を見たのは本当にこれが初めて)
日本中世の美術史から途絶えることなく明治期まで続いた狩野派画壇のビジネスモデルに強く関心を示されており、日本の画家が、画壇としてそれを引き継げていないことが、世界へ立ち向かえない一つの弱点であることも指摘されていたと思う。
この五百羅漢図4部作の大型作品の作製をわずか1年間で仕上げる為に、動員された弟子の数は延べ数百人だという。棟梁指揮の下、素材収集部隊、デッサン部隊、24時間作業のシフト化と、”延べ”という要員数がその組織化された分業制を想像させる。それは、展覧会でもその作業の過程を映像化し、また、収集された資料や下絵、指示書を、「残す」前提で作製た上で、公開していることにも明らかに思われる。
つまり棟梁が目指した日本画壇組織の成功例をここに知らしめたのだと思う。
展覧会はカメラを持ち込み、すべての作品が撮影可能、公開も自由となっている。
棟梁の大きな野望は果たされた上で、後はその画を前にして、観たものが何を感じるか、指をさして笑ったり、眉を寄せたりと、自由な発想を得ることが絵師にとっての最高の望みなのではないかと、なんともフレッシュな気分で鑑賞を終えた。
現代画というのは(日本画というにはまだ抵抗もあるが)、作品のプロセスが公となっているものに対して、なんの理解を求められているのかなどの勘ぐりは、彼らはまったく望んでいないのだ。