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びぶりおてか

私家版 Caffè Biblioteca

東京国立博物館蔵 菩薩立像(C20)についてのメモ

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【菩薩立像】

東京国立博物館所蔵 重要文化財(C20)

木造,金泥塗り・彩色・切金,玉眼 像高106.3

制作年代:13世紀前半 鎌倉時代

 

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弥勒菩薩像と考えられる。

東大寺に後世(室町)の模像が残り、奈良に伝来した著名な像であったと思われる。

唇に水晶板を嵌め、頭髪は髪筋の向きに枌(へぎ)をいれて、木屎漆を盛るなどの得意な技法は生身の菩薩像をあらわす意図による。(A)

 

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仏師は、奈良仏師 善派の善円(善慶)と推定、奈良・伝香寺 裸形地蔵菩薩像と一対であったか。(A)

東大寺龍蔵院に室町頃とみられる模造がある。(D)

 

【善円/定覚と慶派のながれについて】

(1197年—1258年)建久8年 - 正嘉2年(1249年 善慶と改名)

造仏は、如来型、声聞形、忿怒形が確認されており、①1221年十一面観音像など、善円発願造像において、結縁名に叡尊をはじめとする興福寺系統の高僧、貴族出身の僧の名前が見られるように、興福寺付属の仏所や春日信仰に関連する造像が多くを占める。

f:id:itifusa:20130807003213j:plain  東大寺中性院弥勒菩薩

 

奈良仏師としての出自は不明だが、①1221年十一面観音像の天衣が前腕に外側からかかる形式、小ぶりの顔立ち、体躯の膨らみ、肉付け、更に、木取りの工法が中性院弥勒菩薩より受け継ぐものが見られる。

 また、善円前期の顔立ちの特徴は西金堂薬王薬上菩薩像に近く、正面条帛の処理が①1221年十一面観音像や、③東博文殊菩薩立像に踏襲されている。

 

 

中性院像・薬王薬上像に共通する渦巻き状の臍が伝香寺像で用いられている。(D)

慶派仏師へ導かれる系譜への関わりが考察される。

 

【確認されている善円作品の列記(制作年代順)】

1221年(承久3年) 十一面観音像(重文) 国立奈良博物館蔵

     46.6㎝ 木造寄木造 玉眼、金箔・彩色

     左腕、頂上仏、化仏は後補。頭部・胴身部内刳に墨書

     体内納入経巻(羅什訳 金剛般若波羅密経)奥書「大仏師 善円」とある。

     善円を発願結縁主とした『運慶願経』の様なものか。(C)

 

②1223年(貞応2年)

  〜1226年(嘉禄2年) 地蔵菩薩立像  アジアソサエティ蔵

     42.3(55.8)踏割蓮華の台座、木造寄木 玉眼、彩色、 

     台座の筺部は後補。 頭部・胴身部に墨書(発願主 善円)

     八種の金切文様 (唐草、大輪唐草(変形含)、七宝つなぎ、

              入子菱、卍くずし、三菱つなぎ、麻の葉、格子)(C)

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③年代不明 文殊菩薩立像 東京国立博物館蔵(C23)

      43.3㎝ 木造,金泥塗り・彩色・切金,玉眼

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 ①〜③について、春日本地仏像5躯のうちの3躯と考えられる。(D)

 

④1225年(嘉禄元年) 釈迦如来座像(重文) 東大寺指図堂 

     29.1㎝ 納入品奥書/仏師善円

 

⑤1228年(安貞2年) 裸形地蔵菩薩立像(重文) 奈良 伝香寺

     木造

     春日社の本地仏及び、興福寺延寿院本尊伝来。

     胎内納入品のうち/(http://www.isagawa.ed.jp/denkoji02/index.html

      木造薬師如来座像 1躯(碧瑠璃舎利壺中に仏舎利三粒と伴に納入)、

      木造十一面観音立像 1躯 白檀像(一木)

 

⑥(無年紀)菩薩立像(重文/弥勒菩薩か(A)) 東京国立博物館  ※当対象        106.3㎝ 木造 金泥塗り・彩色・切金,玉眼 

 

 ⑤〜⑥について春日社本地仏として、対である可能性及、生身仏としての造仏である。⑥弥勒菩薩の考察の場合、春日権現本地垂迹における春日社若宮15摂社、三十八所神社に弥勒菩薩が適用となっている。

地蔵菩薩は本殿第二殿 天児屋根命(あめのこやねのみこと)藤原氏(中臣氏)の祖神。

三十八所神社は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冊尊(いざなみのみこと)、

        神日本磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと)

 

⑦1240年(延応2年) 地蔵菩薩像 薬師寺

            97.3㎝ 木造 彩色

 

⑧1247年(宝治元年) 愛染明王像 西大寺

          30.5㎝ 木造 彩色 

          胎内経『金剛峯楼閣一切瑜祇経』奥付/仏師善円

          昭和30年8月 奈良文研西大寺調査による

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⑨1249年(建長元年) 釈迦如来像 西大寺 (善慶)

          増金、観慶等8師と清凉寺本尊像の模刻。

          発願/叡尊の弟子達

 

⑩1249年(建長元年)薬師如来坐像(南あわじ市・正福寺)(善慶)

 

⑪1255年(建長7年) 騎獅文殊像 般若寺 (消失)

          丈六 叡尊発願 

          文殊本体完成後に没した為、獅子は子息の善春が造像。(D)

 

⑫善慶銘(無年紀)  地蔵菩薩像 西興寺(大和郡山市) 

          129㎝ 木造

          補修とあるが、造像の可能性あり。

 

⑬善円 (詳細未確認)地蔵菩薩立像 東京国立博物館

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【善派】

1225年善円作 東大寺 釈迦如来座像①を最初期とし、運慶没後から、13世紀半ば(湛慶没頃を下限とし)、南都西興や巨像の造像ピークを過ぎた、小規模造像が多くなる鎌倉中期に遺品を残す。仏師名に「善」を持つ一派

天衣や裳裾、体躯の張りなどに巧みな写実表現が見られる一方、時代を反映し、小さく整理された顔立ちや、宋風を模した天衣や裳の裾を強く波立たせ跳ね上げる「気」の表現が見られる。(D)(H)

 

興福寺叡尊に関わる造像が多く、子息(もしくは子弟)の善春にいたるまで、春日信仰真言律宗の造像が盛んであった。1262年、叡尊の関東下向以降、北条時頼真言律宗への帰依、鎌倉極楽寺の造仏について、善派(もしくは慶派を伴う)仏師の鎌倉への活動の広がりが見られる。(C)(D)(H)(I)

 

叡尊の弟子達が発願主となる⑨1249年 釈迦如来像 西大寺 (善慶銘)の納経奥書に、当像の制作にあたった、増金観慶等8師とを含め、善派とすることがある。

増金、観慶については、京都浄瑠璃寺 馬頭観音像(1241)の造像があり、裳裾のさばき方、作風に中性院像の流れが思われる。(A)(D)(H)

 

 

 

出典

(A)別冊太陽 『仏像 日本仏像史講義』2013年3月 山本勉 平凡社

(B)別冊太陽 『運慶 時空を超えるかたち』2010年12月 山本勉 平凡社

(C)『日本仏像彫刻史の研究』1984年12月 久野健 吉川弘文館

    第三編 第五章 大仏師善円とその作品

(D)『日本の美術536号 奈良の鎌倉時代彫刻』2011年1月 奥健夫 至文堂

(E)『運慶にであう』2008年9月 山本勉 小学館

(F)『続 仏像のひみつ』2008年5月 山本勉 朝日出版社

(G)『日本の美術全集11 神道の美 春日/日吉/熊野』1979年6月 学習研究社

(H)『日本の美術全集12 鎌倉の彫刻・建築 運慶と快慶』1978年2月 学習研究社

(I)『日本の美術537号 東国の鎌倉時代彫刻』2011年2月 山本勉 至文堂