東博 「運慶・快慶周辺とその後の彫刻」
愛染明王坐像C-1858 鎌倉時代(13~14世紀)重文
木造 彩色・載金 玉眼
奈良県 内山永久寺伝来の像ということで、この造形、なかなか興味ある。
内山永久寺は興福寺に関連し創建、明治初期に廃寺となっている。
寺宝には康円像が数点確認されているようなので、なるほど善円の血脈に期待を寄せても強ち悪くない。
装飾のガラス玉など造像時のまま残り美しい。
運慶!と言ってしまうと大分違和感はぬぐえないけど、眺めるほどに味がでるところは、浄楽寺像より好き。
建久年間(1190〜99)制作の旨、戌神像内にあった修理銘中にあるとのこと。
1186年 願成就院像
1189年 浄楽寺像
1193年 足利樺崎寺像
と、東国の有力武将願主の造像が続き、建久年間後半の東大寺造像までの西国での空白期、運慶は東国にあって、工房を運営していたとも考えられている。
曹源寺は頼朝の時代に既に天平年間の国分寺造営期創建として三浦の有力豪族の配下にあったとも考えられているので、わずかな望みながら、運慶周辺や、工房の小仏師というよりは、運慶により近いと想像を巡らすのも悪くないよね。
キャプションに(12~13世紀)とあるところの傍線が「残念ながら・・」と言われていなくもないけど、山本先生のその辺の言及は今のところ探せてないので、いつか聞いてみたい。
2013/8/6日(火 )~9/16(月)
木造 金泥塗り・切金 玉眼
永仙(1239〜)作 像高96.9
来迎形阿弥陀如来像
切金のパターンバリエーションは凝っているというほどでもないけど、
横から見たボディーなど色っぽく。
1259年、おそらく京都なのだろうけど、まだまだ他にも美しい造形を作り出す仏師がいたのね。