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びぶりおてか

私家版 Caffè Biblioteca

クヱマリをしたること

蹴鞠を少し、教えていただいた。

 

蹴鞠について想うのは、中臣鎌足中大兄皇子との出会い。

鎌足は弓の名手であった事も、発掘された遺骨の変形した左前腕骨から証明されている。その腕で入鹿を射た。

愚管抄で「もののけ」とまで言われた冷泉帝は、親王の頃より蹴鞠に没頭しており、殿舎の梁に鞠を載せようと、躍起になって部屋の中で蹴り上げ続けていた姿が、人々の口さがない噂の一因ともなっている。

鎌倉幕府滅亡の一翼にも蹴鞠は聞こえる。

たった一度上洛した際に、頼朝の長男坊、頼家は蹴鞠に魅入られる。執政から蔑ろにされ、ヘソを曲げた頼家に言い寄った、稀代のおべっか使い、平知康が彼の蹴鞠熱に火をつける。

どれも、その後に起こる時代の移り変わりを大きく握る程に、彼らは鞠を蹴上げ続けていたのはなぜなのか、一度自分で蹴上げてみたかったのだ。

 

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鞠の種類は2つ。

上が九寸の上方、宮中で利用されていたサイズ。下の一回り大きい方が一尺の関東版。武士タイプとでも言おうか。

3歳の雌鹿の尻の皮が使われるそう。

必ず両手で扱い、蹴り上げるのは右足のみ。中央の蛇腹部分を親指と4本の指とで丁寧に胸通りの高さで引き寄せる。全ての動作に、品格と崇敬が込められている。

 

充分に鞣された皮の鞠は、打つ内に凹んでくることがある。紙風船遊びと同様に、手で軽くぽんぽんとたたいていくと、自然とまた空気を含んで丸みを取り戻す。その感覚が素敵だった。

澁澤龍彦の『空飛ぶ大納言』は蹴鞠の上手、藤原成通卿を題材にしている。成通卿は和歌にも通じており西行とも親しかったとも。

大納言が一千日の願掛けを満了した日の晩に、鞠の精霊が現れる件がある。

鞠の内部には、玉匣を開けた時の様に、そこに閉じ込められた夢が少しずつ、芳香の様に放射される。常に中身をとりかえて、新鮮な夢を満たす必要があろう。と精霊が告げる。精霊は蹴鞠が始まれば鞠の側に在り、しかし必ず四方の「かかり」は生木でないと精気を失ってしまうというのだ。

 

古の人の発想の美しさに少し触れられた気がした。

 

色とりどりの装束を着た貴人が両の袖を広げ、舞う様に鞠を追う様子。何とも雅やかなことだろう。そして、美しき妄想とともに、理由無く只、無心に鞠を打ち続ける自分にも気付いた。

 

この週末、金曜日は森戸神社での奉納神事。翌土曜日は午前中にお弓の稽古、午後に礼法、歩射、そして蹴鞠と、一日道場に入り浸った。 

雌鹿の皮の真ん中を凹ませる蛇腹の部分。芯は馬の皮だそうだ。『馬鹿』とは、勉強ができない等の事ではなく、他のものが眼に入らない程、一つの事に没頭している様を指して言ったのが本来だそう。