びぶりおてか

私家版 Caffè Biblioteca

高橋信行「サンシャイン」@BASE GALLERY

 
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作品タイトルやキャプションがつかない展示。
ありがたや。
横についていると、つい、すぐに種明かしが見たくなってしまうからな。
 
可能な限り没入できる良い環境でした。
 
いつも、この方の作品を見ると、描き上がった絵にタイトルをつけるのが、産みの苦しみを超える一番の苦痛なのではないかと思ってしまう(笑)
 
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絵が百年後にも生き続けるには、その絵の中で常に時が流れていなくてはならない。
当然それは絵のなかの時間が経過していくということではなくて、画家の脳にあった情景から切りとった、その空間の流れ。
観る者が絵に没入を果たした途端に再生する、画家が吐き出したその長い一瞬が生きていないと成らない。
100年も経てば見る側の思考も文化も変わるから、伝播の仕方は当然姿を変えるかもしれない。でも肝心なのは、人がその絵の前に立った時に動き始める力なんだと思う。
 
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この画家の脳に在る景色は、ことごとく削ぎ落とされ、
物理にかなった明白な穏和だけが残る世界になる。
 
とうに立体は外され、今や円みさえも引き剥がされている。
 
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この人にとっては色彩さえも、時には煩わしくも過度なものなのだろうか。
脳に残る風景をもっともっと見ようとして皮を剥ぎ取り、残った色。
対象の存在が単色のみで最大限に映し出され、画家の目に映る景色がこんなにもはっきり見える。
 
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左の井桁。。。見た途端に美しい湖面が脳内に映し出されるのは、
なんのマジックなんだろう。 
 
右は弘法もびっくり。東寺五重塔だ。
大切なものは、幾多の震災もものともしなかった心柱ではなく、
軒のスウィングだたらしい。
 
引き剥がしていく作業は、躍起になって瓦礫を除いていくそれではなく、
子供が玉ねぎの実を求めて、一枚皮を剥いでは、実を確かめて、また次の皮を見つけては剥いでいく。こんな行程の様な気がする。
そこに残った玉ねぎの実は、精巧にポジショニングされた画家の脳、景色なんだ。
 
 
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この人が60歳、70歳と描き続けていく絵のことを考えたら鳥肌が立った。
 
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こちらが今回のお気に入り。
 
※ギャラリーに許可を受け撮影しました。