葛生へ若冲の『菜蟲譜』をみにいきたること。
今回の修復前、ということになる。
ありがたや、と襟を正して見に行ったものだ。
2000年の若冲展にも出ていたが、正直、半狂乱のごとくの展示数の中、「野菜がかわいかった」という印象しか残っていない(それで十分だと思う)。再発見の貴重品だったということも、だいぶ後になって知ったわけだし。
この巻物は、印刷や複製技術がこれだけ進歩した現代でも、実際に見るのと、図録で見るのとでは、がらっと印象が異なる。
薄墨を引かれた背景と、柔らかでも明るい色使いの絶妙なニュアンスは、
実際に見て体感しないことには、とても味わえない。
それが修復、クリーニングされたのだから、野を越え山越えでも見に行かない手はない。
来年から始まる若冲生誕300年記念ラッシュで引っ張りだこなのは目に見えているが、
ブーム再来必至なのだから、今のうちに落ち着いて見ておかないとだ。
後期公開なので、後半部分約5mを、気がつけば80分間。
ストレスなく堪能させて頂く。吉澤記念美術館、いいねーー。
後半部分の蓮の実が散らばるところからスタート。
小気味良い波状で、菜蔬が連なる。色彩のメリハリが視線の移動を促す。
写実から生まれた若冲のデザインスタイルがここに結集する。
愛すべき食の恵みたちの愉快なリズムだ。
印象的なアゲハチョウの登場から、蟲たちの世界に誘われる。
見るものの視線はすでに、自然な導きに連れられて行く。
葛の蔓がすーと伸びる先にまた、視線の波がアップダウンし、要所要所に鮮やかな色彩で虫や蛙が描かれるポイントがある。
細くシャープな蜘蛛の糸が、料紙を斜めに横断する。目は自然とそれを追う。
その先にいるのは、ニホントカゲの鮮やかな青色よりもっと下。
普段の私たちの世界では、気にも留めないか、忌み嫌うような、小虫たちの営み。
誤って這い出てしまった今にも干上がりそうな蚯蚓に群がらる蟻を、やるせない気持ちで見つめたり、このカマキリ、このあいだ鶏頭の上に止まってた、孤独の雄蟷螂ではなかったか。とか。
息を潜めて、彼らの会話を、やりとりを眺めている。
場面は水辺へ続き、水流を描くみずすましと、泳ぎだすイモリが、新しいリズムを作っている。
そして、大好きな蛙。
私はこの蛙の腹にいつも、”Fin"と書き入れたくなる。
ちょうど映画の終わりみたいに。
蛙の背後に現れる、まだ畑に植わる野菜群は、エンドロールだ。
奥の大根の葉が、画面手前に大きく垂れてきている。
これまで見てきた小さないきものの世界は、
畑に腹ばいになって、大根の株の合間から覗いていた景色だったことが、
このエンドロールで明かされるんだ。
まだ畑に埋もれる大根は、泥をかぶっているから、水洗いされた白さはない。
この作品唯一の白の裏彩色が、その効果を発揮してたのではなかったか。
冬瓜の輪郭に、指揮総監督、斗米庵若冲翁(正確には『斗米庵米斗翁行年七十七歳画』)の落款が入って幕が降りる。
この冬瓜の上部、筆のイガイガはなんの効果なんでしょうね。
やはりこれは実際に見ても、ぴんとこず。なんだろうなー。
修復調査報告文献となる図録。読みやすく、修復前との画像比較が充実してて、1.000円はお値打です。
そして、美術館のグッズ。二重丸です。
トートバッグ(1000円)はマチ付きなので、稽古の道着などがまるっと入ってちょうど良い。
手ぬぐいも単色なのに、1000円だけど、モチーフの勝利。
お年賀用に使いたいほどですわい。
館のスタッフの方々もとても穏やかで、よい美術館でした。
また、公開された際にはみにいこう。