びぶりおてか

私家版 Caffè Biblioteca

ゼウス左足ト残宴ノユフベ

とうとう最後の一枚を消化。
もう会えることもないであろうゼウスの左足に最後の挨拶。
名残の夜を惜しみ、舐めるように愛でてきた。

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このゼウスの左足は、仏像の変遷にどう向き合えばいいのかを自分なりに気づかせてくれた、私にとっては重要な、「失われた遺物」だった。

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紀元前、地中海より東へ遠く、中央アジアの地にギリシア移民の都市が存在し、永く繁栄をしていた事を明らかに伝える証。そのギリシア都市を土台に様々な部族が文化を受け継ぎ、偶像を持たなかった仏教の歴史を大きく変えることになる。
アイハヌーンの神殿に祀られた大きな神像を前に、中央アジア騎馬民族が吸収したものの歴史的価値は計り知れない。
 
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資料の中に見た、たった一枚のモノクロ写真のおかげで、私の中で止まっていた造像文化の歴史が目の前で動き出した瞬間を今でも忘れない。
 
滋賀にあるMIHO Museums が開館の折、そのコレクションが盗品を買い上げたものである事が、一般へ大きく報じられていた。すべての事情を汲む関係者の苦渋の決断は、それでも守らなくてはいけない使命との間でどれだけ揺れていた事か伺いしれる。
このゼウスの左足が日本へたどり着いたのも、恐らくその時期であったのだろう。

日本に保護されていた事を知った時の私の衝撃といったら、
道行く人と目があって運命の人と思い込んでしまう位、危険人物度の高いときめきであった。その日から指折り、公開をどれだけ待っていた事か。
上野、下町では花見だ三社だとお祭り騒ぎを他所に、私は一人でお祭り騒ぎだったのだ。
 
時が経ち、失ったものの重大さに人々が気付いたこの時、改めてこれらの遺物が包み持つ、大いなる寛容の意味を受け止める事が出来たらと強く願うばかりだ。