びぶりおてか

私家版 Caffè Biblioteca

『メディチ家の至宝 ウフィツィ美術館3D/4K』試写会にて

今夏公開の映画

『フィレンツェ、メディチ家の至宝 ウフィツィ美術館3D/4K』
試写会と美術史家の池上英洋氏登壇のトークイベントへ。

 

見終わってからの第一声が、池上英洋氏と同じ
「ドローンってすごい」
だったので、本当にすごいんです。 

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いえいえ、この「すごい」には、

①冒頭、フィレンツェを取り囲む森を抜け、遠くに赤レンガ屋根の街がだんだん近づいてくる。サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂が。。。。という血がたぎってからだが熱くなるほどの素晴らしい空撮。

 

②雨ざらしなのが信じられないほどの街の彫像を見事な構図でなめていく映像カット。

 

③そしてドローンが搭載しているであろう4Kカメラの凄さ。

といったこの映画すべてへの賛美が込められているのです。

おそらく時間的には、ウフィツィ美術館内へ入っていく(ドローンは入っていかない)までの映画前半がほぼ、ドローン大活躍映像。その映像にストーリー性が盛り込まれ、登場人物の語りとともに、時間を超えてフィレンツェを概観、ストーリーにどんどん引き込まれて行っているという、イタリアファンは没入間違いなしの展開でした。

もう、予告だけでも何回も見てしまっている。

 

 昨年の「ヴァチカン美術館4K/3D 天国への入口」から更に内容はグレードアップしていて、作品解説で進めていく形式は同じだけど、映像とドラマチックなストーリーは90分の集中力を難なく持続させてくれる。

 

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冒頭の森を抜け、赤レンガの大聖堂を越え、場面が落ち着いた屋敷の中に変わる。

あれ?美しい光沢を帯びたシルクのスーツに、目にも鮮や、かまーっ赤っかのストールをかけた紳士。
もしや(まさか)と思ったが、ご想像の通り、時空を越え現代のスーツに身を包んだロレンツオの霊だった。
個人的には見ているうちに、だんだんあのロレンツオの肖像に似てきたし(顎のあたり)、結構かっこよかったようなきがする。。。>幻想?


美術品の数々を、禁を犯しているのではないかとどきどきするような視点から、精密映像で舐めるように映し出してくれる。

実際に見れない角度や近さで見る人物たちの表情と視線は、これまでとは全く違った姿で、このイメージを蓄えて改めてフィレンツェへ乗り込んで行き、彼らと対面したいという欲望が疼く。

そしてまた、バックに流れる音楽がとてもよくて、映像とともに重厚さや、歴史が持つ生命力を彷彿させてくれるし、最先端技術の映像作品の鑑賞とはこういうことなのか。と、感動はより一層増すばかり。

これは本当に、大きなスクリーンの映画館でもう一度観なくてはいかん。

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 ウフィツィ館長(-2015)ナターリ氏の解説は作品が持つ思想,哲学を、構図や構成から読み取る古典文学の知識の重要性を説く。
イタリア視覚芸術の鑑賞方法が一変する内容。

 

映画『フィレンツェ,メディチ家の至宝 ウフィツィ美術館』オフィシャルサイト「作品解説」

 

イル・マニーフィコが重要視していたのが、哲学者や詩人だった。とりわけ詩人は神の言葉を写すとして尊ばれ、その詩人たちが編む歌を、視覚化するのが、画家や彫刻家だった。

f:id:itifusa:20150226111831j:plain※手持ちの画集より

この映画に紹介されるロレンツオゆかりの絵画の数々は、それぞれが、それらの思想や哲学、美しい言葉のやり取りをいとも具体的に構図として表しており、歴史を紐解くことによって、構図のストーリーが動きだす。
これはたまらん。

フィレンツェに行かなくては〜。

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「東方三博士の礼拝」 レオナルド・ダ・ヴィンチ

 

来年あたり、ダ・ヴィンチの"東方三博士の礼拝" だのネロの黄金宮とか修復後公開(されると勝手に決めている)楽しみだ。

そうだ。イタリアにいかなくては〜。

 

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映画『フィレンツェ、メディチ家の至宝 ウフィツィ美術館3D/4K』 | 弐代目・青い日記帳

 

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冒頭の空撮の話の繰り返しにはなるが、
この先に目指すフィレンツェの街が本当にあるのだろうか、というほどの原生林から光の射す方へ向かい、フィレンツェを取り囲む丘陵地の森の上空に抜ける。
13世紀の金融バブルの折の建設ラッシュのにより、そのほとんどの森はことごとく伐採されていたため、当時の絵地図を見ても、禿げたなだらかな丘陵帯が描かれている。
だが、14世紀、ダンテや、15世紀のマキアベッリが、無念にもフィレンツェ後にし、この森を抜けて行ったのかもしれない。と想像すると、潤いある緑の上を滑空するドローンの活躍に、席を立って拍手喝さいしたい気分だった。


ここに、ナターリ氏が力強く訴えていた、構図が意図するものとは、どういったことなのか。1篇の詩を紹介したい。ロレンツオの弟、ジュリアーノが催した馬上槍試合を記念して、詩人、アンジェロ・ポリツィアーノが書いた作品だ。

『馬上槍試合のためのスタンツェ』

 けがれのない白、それは彼女、その服さえ清らかな白だが、
 ただバラはもちろん花々と緑の草が描かれ、
 輝く禁の前髪が巻きながら、
 謙虚に誇らしげな、その顔にかかっている。

 彼女は楽しげな緑の草原の上に座り、
 自然がこれまでに創造したあらゆる花々で
 編まれた花冠を載せていた、
 その同じ花々は衣にも描かれていた。

 そして若者が気がついたその瞬間、
 わずかに怯えながら顔をあげ、
 それから白い手で裾をつまんで広げながら、
 溢れかえるような花の中に立ち上がった。

 そして、まるで空が隅々までを輝かせたのと同じように、
 喜びのひろがる顔に微笑みをあふれさせながら
 草原のうえでゆっくりと歩みを進めていった、
 愛を呼び起こさずにはいられない慈しみに飾られた様子で。

 そして(ジュリアーノは)見つめながら想い続けている、
 彼を苦しみから助けようなどとは思わぬ彼女を、
 心のうちで、彼女の天井にあるかのような甘美な歩みと
 天使の衣の羽ばたきをたたえながら。

        ポリツィアーノ『スタンツェ』第1巻第43,47,55連 原基晶(訳)
        2016年 勁草書房 『ボッティチェリ《プリマヴェラ》の謎』

 

槍試合の勝者へは、一番美しいとされている女性が女神ニケに扮し、月桂冠を授ける。
その女神の役に選ばれたのが、シモネッタ。一部ではプリマヴェラのフローラ女神のモデルと言われた女性だ。この際のシモネッタの姿を歌ったこの歌の表現が、プリマヴェラのフローラの姿と一致すると言う事が、その理由。
あくまでも論を二分する片方の主張ではあるけれど、映画中、ロレンツォ氏やナターリ氏の言ってる事が一致して、わかりやすくなる。こういった予備知識をもってイタリア古典、視覚芸術を鑑賞する奥深さが、中世からルネサンスにかかる「芸術」の面白さなのがよくわかる。
よい作品をいち早く観れた事に感謝いたします。

イタリアいきたい。。。。

 

特集 村上隆/美術手帖 2016年 1月号

 P64. 「メディチ家の政治と芸術」 文/原基晶

 

ボッティチェリ《プリマヴェラ》の謎: ルネサンスの芸術と知のコスモス、そしてタロット

 

 

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