敦煌2日目8/1 ①朝ごはん
敦煌太陽ホテルの朝食ビュッフェ。
ガイドさんも美味しいと薦めていたもので非常に楽しみにしていた。
先ずは真っ先に楽しみにしていたハミウリとスイカなど、季節のフルーツを一皿。
上のスイカ、右が洋梨(リンゴみたいに酸味があって、食感もしっかりしている)手前がハルブーザ(ハミウリ)。ハミウリとメロンは区別されている。メロンは日本のプリンスメロンの中身がマスクメロンみたいな食感と甘さ。さいこー。ハミウリはさっぱりとした甘みで食感があり、あふれんばかりのジューシーさ。大好き!
先ずはハミウリを心ゆくまで堪能。最高の朝ごはん。これから5日間、毎朝楽しみだ。
繰り返すが、「朝食」なので、スケジュールみっしりの1日の朝から食い倒れておれない、一応自身には制限をかける。
・フルーツ一皿
・主菜一皿
・粥、スープ、麺のいずれか一つ
・コーヒー一杯
・お茶一杯
と決めた。
なお、お皿は白磁のメインディッシュサイズ。23ー25cmくらいだった。
主菜のお皿。一番奥(上)の白い塊が、モモ(マントウ)野菜のペーストが練りこまれているものとプレーンが毎朝必ずある。その下が白菜とクコの炒め物。右が少し香り付け程度でカリフラワー。右手前が茄子。手前が粗千切りキャベツのオイル茹で。左がキクラゲと青菜の卵炒め。
卵炒めは野菜が変わって毎朝あったのでこれも楽しみ。メニューはこれで三分の一程度。もっと彩よく、豊富。個人的に食感などで好き嫌いが激しいので、葉物で落ち着く感じ。
野菜は基本的に全て調理し(火が通っ)た料理。生野菜食べるのは日本くらいなのかな。後でガイドさんに聞いたところ、出汁は基本ヒツジの出汁だとか。
ざっくり言えば、すべて「野菜炒め」ということになるけど、野菜それぞれにちゃんと味があるので、ちゃんと異なる料理になっているし、炒め加減も変えられている。これ、羊のダシが決め手なんではないだろうか。
そして、この調子で毎朝充実した朝食が始まる。
敦煌1日目7/31-⑥ 開会記念祝典
19時。未だ暮れることのない夕刻。日本本州では見ることのできない地平線と覆いかぶさるような砂漠の空に車窓へ釘付けになる。
20時から開始となる莫高窟陳列センター前広場での「平山郁夫展」開幕式に出席するため、この旅初の莫高窟へ向かう。
この景色は、滞在の5日間、毎日のように見続けるが、全く見飽きることがなかたった。というより、砂漠を舞台に妄想(回想による)が途切れることがなかったというかんじ。
日本の異常な猛暑を忘れさせる爽やかな風と空気。
会場には続々と要人も着席される。中国がどのくらいこういった文化事業に力を入れているかが伺え、そういったところに、この国の発展が揺るぎないものになりつつあるのを感じさせられる。
文化をないがしろにすれば、その国は滅びるのだ。と、改めて叫びたい。わが国へ。
会場にバスが到着すると、べっぴんさん揃いの式典コンパニオンの方々が出迎えてくださる。こんなお花を着けてもらっちゃったり。
そのまま会場へ案内され、そこまで大した人間ではないのでちょっと申し訳ない気持ちになる。お花は記念にちゃんと持って帰ってきた。
莫高窟陳列センターは竹下首相(当時)が敦煌を訪れた際、全面出資によって建設が決まった。横井大使はその時の担当外務官であったため、その場で担当に任命されたとのこと。その後、完成を見る前にアメリカ大使館への着任となり、H28年の中国着任により初めて完成した陳列センターを訪れることができたのだそう。さすが流暢な中国語と日本語とでスピーチをされていた。
テープカットのリボンが太かった。。。
この式典の様子は、日本で翌日にはNHKで放送もされたとのこと。すでにネット記事は削除されてしまっているので、こちらの画像でどうぞ。
敦煌1日目7/31–⑦平山郁夫展内覧会
平山郁夫展覧会開幕式典に出席後、そのまま内覧会。
展覧会は平山郁夫シルクロードコレクションより、240点が出品されている。
また、シルクロードコレクションだけでなく、スケッチや、砂漠行くキャラバンのシリーズなど、油彩画のクローンも運び込まれ展示。
平山郁夫シルクロードコレクションからの作品の選定、及び陳列はすべて敦煌研究院の研究者によるもの。
陳列方法は日本でスタンダードな、時代毎、地域毎といったルールにはとらわれず、彼らが今考え、伝えようとしてる「西域シルクロード」が表されているようで、とても興味深かった。
展覧会一番最初のケース内には、地中海文明(西アジア・アフリカ大陸など)の遺物と、非地中海文明(ローマなど)を概観するような展示となっている。
前田先生の非公式解説がスタート。そばにいればどんどん質問。そうすれば時間が許す限り(なくても)解説や、遺物の見方などを教えてくださる。
南イタリアから出土したキュベレ女神の像!
ならば、と、無理やり仏教彫刻のエリアへ先生を引っ張っていき、もはや、ざっくり「注目すべきは?」などと煽る煽る。
仏伝の浮き彫りは、莫高窟壁画などでも多用されている主題なので、ヘレニズム・西域の影響や、構図の関連性を見るのにも興味深い作品の数々だと思います。
化粧皿など、女性が興味を持ちそうなブースになっている。
平山郁夫シルクロードコレクションの多くは、盗掘や略奪され、国内外に流出した美術品を保護したものも含まれる。そのため、見栄え良く(彼らにとって)関係のない遺物同士をつなぎ合わせるなど、無理があったり、出土地のはっきりしないものもある。それを踏まえても、長く続いたシルクロード交易のダイナミックな展開は、いろいろなことを教えてくれる。
アレクサンドロスのコイン(前4世紀東地中海地域出土)
カドフィセス金貨(2世紀ガンダーラ出土)
カニシカ金貨(クシャン朝2世紀 中央アジア出土) おもて面のカニシカ王(写真)は、拝火壇に右手をかざす姿。騎馬民族の王族の装束。裏面はおそらく仏陀立像と思われるタイプ。
弥勒菩薩交脚像(2−3世紀 ガンダーラ)
平山コレクションを代表するお像だと個人的には思っている。敦煌であえて嬉しい。
西域風の毛髪の表現と頭頂に結い上げるスタイル。インド風の右肩出しにおもえるが、交脚像は遊牧民族王侯のスタイルによるものということなので、時代が下った偏袒右肩とは異なるのかな。
衣文襞もたっぷりとしていてギリシア風が美しい。
今回の展示は日本での展覧会や常設展ではあまり公開される機会の少ない作品も多数含まれており、充実したものとなってた。
敦煌石窟文物陳列中心(敦煌石窟陳列センター)の常設展示も。
石窟壁画に使われた顔料の取り扱いは、現代の中国ではすでに失われており、大陸から日本へ輸入された技術が唯一の継承だった。平山氏の基金で東京藝大へ留学生を招くことで、その技術を再び中国へ伝えることができた。
文化の交流は、政治を超えて、本当に大切にしなくてはいけないと思う。
この、敦煌石窟文物陳列中心(敦煌石窟陳列センター)は、平山氏手引きによる竹下首相の即断で無償援助による建設がかなった建物。箱もの交流もここではちゃんと活かされております。
文化費に意義を与えられた豊かな日本はどこへ行ってしまったんだろう。
展覧会は本年10月末まで。この展覧会や敦煌石窟を見学する日本からのツアーが、各所で組まれることになっています。
現地ツアー会社の日本語ガイドもとても優秀なので、敦煌だけでもかなり充実したツアーになるかと思います。
目下、鎌倉市が協賛するツアーが10月に予定されています。ご興味のある方は是非敦煌へ足を運んでください。
敦煌1日目7/31–③ 敦煌博物館
敦煌到着初日、夕刻のスケジュール前に近郊の観光。鳴沙山からの流れで、敦煌の歴史をまずは知ってほしい。とガイドもお勧めだった敦煌博物館へ。
潤んだ瞳が切ない小さなワンコが、博物館の敷地内に。観光バスなどが入ってくると、バスの降車口の前にお出迎え。潤んだ瞳も心得ているのだ。とは思いたくないほど、終始切ない瞳で、心が痛かった。
敦煌のワンコは、みんなこのサイズ。狆とテリア系がミックスされた短足系。野良なのか放し飼いなのか区別がつかない。
博物館の建物はリニューアルしたばかりらしく、コンパクトな近代博物館のようなモダンな作り。
多くがレプリカや、資料の陳列だが、「敦煌の歴史を学ぶ」には、とてもわかりやすく興味深い資料の数々だった。
セキュリティーを抜けて、最初の部屋へ向かう通路の展示
陶器に描かれているのかと思ったら、木製だった。莫高窟の初唐浄土図がモデルと思われるが、とてもいい作品だった。
最初の部屋。敦煌の歴史、地理を概観する。フロアに敦煌の簡易地図が彫られており、大まかな立地がわかり、その後の観光には重要。
ガイドさん足で指し示す。そこは西洋人と同じ感覚らしい。椅子文化圏。
東博でも幾つか収蔵されていたかとおもう。仏教伝来以前、漢代、四神が描かれる神仙思想の発想
積薪。城壁の遺構をそのまま移設したもの。西漢、つまり前漢時代、ゆうに二千年以上前の藁束( 薪と漢字が充てられるが、大麦の稲)
盛った土に人力で(当然)タンパーを当て続け、藁を敷き、またその上に土を盛り、同じ要領で土固めをし、その繰り返しで1.2から2メートルの城壁を築いていく。馬に騎って侵略してくる北方民族防衛なので、そのくらいの高さでよかったようです。
後に確認したところ、低くて1.2メートルなのは、そもそも、羊が越えてこれない高さでよかった為。遊牧の羊が草を求めてやってくれば、必ずその遊牧民が付いてくるか。2メートルは前述の通り、騎馬民族を防ぐ為の高さだそう。
万里の長城よりも前の時代には、敦煌にはすでに西域との国境地帯としてこの城壁が築かれていたという。
そんな古代のものだと思うと、どきどきする。
狼煙の薪材
「狼煙」と字のごとく、日中や風のある日は、狼煙の薪に狼の糞を混ぜてもしたそう。油分が多くなる為重く、なびかない煙がまっすぐに上がるのだそう。
木簡。これもレプリカではなく出土品。
紀元前後の貴族(?)墓室レプリカ。天井まで3メートルくらいの実物大のよう。仏教墓ではなく、上部には四神獣などおなじみの装飾と、中央墓室の小型の列柱デザインや最下部のアーチの作りは西域の技術つ使っている。とても興味深い構造だった。
初唐。だんだん仏教荘厳もバラエティーに富み始める。
基部に彫り込まれた半裸の飛天が可愛らしい。
火焔文の龕頂はインド風。逆蓮の上部が何を表すのかわからない。
基部の浮き彫りは陽気な賢者風。大腿部でまとめられた裳裾も時代と民族性があるのだが、中国語がわからず、詳細は改めて。
莫高窟45窟(盛唐期)をまるっと複製したコーナーが。結構たのしい。
後日この45窟を実際に見ることになるのだが、もう鳥肌もの。塑造も美しく、障壁画も荘厳柄の描きこみには続々して声を上げてしまうほどだった。
あれ、これ、東博にもっと派手な(唐三彩)がいる。
千手千眼。中唐期の壁画レプリカ。楡林窟だったかな。実物は修復中で見学できなかったのだが、チベット色強い。
こちらはお弓の先輩方に見ていただきたいとおもった。
時代はぐっと降って清代だが、「木弾弓」とあり、握りはほぼ中央部、弦部は中仕掛けの10センチ程だけが、伸縮のありそうな素材の弦になっており、上弦と下弦は木製。これって引くのにかなりの力が必要そう。
上弦、下弦が木製のため、末弭は外へ反らせてある。
どんな民族の影響でこういう様式なのか、キャプションなどは情報が薄く不明のまま。ちょっと残念。
近世に近づくにつれ、部屋はもうてんやわんや。チベット密教展でこんなようなのあった気がする。両手に蓮花を持っている。
博物館の建物構造は、中央部が吹き抜けになり、周りをスロープの廊下で登っていき、廊下外側に展示室が並ぶ。一番上の展示室まで上がった時に、この構造が全貌できるようになっている。
岡本太郎みたいな巨大なオブジェが中央に下がっている。
地階はお土産やさん。
このツアー”一帯一路”政策の恩恵から逃れることはできない。
敦煌1日目7/31–⑤歓迎晩餐会
日中を観光に当てて、夕方からは今回第一の目的であるスケジュールが3日間続く。すべて意義のあるスケジュールだが、敦煌入りして3日目にして実際に莫高窟の中に入れる。以降石窟群を攻める。
8月1日
18:00〜 敦煌研究院招待晩宴
@敦煌賓館貴賓楼
20:00〜 展覧会開幕式出席
8月2日
14:30〜 シンポジウム
敦煌研究員と東京藝大学術報告会 @敦煌研究院
20:00〜 「回顧平山郁夫先生の貢献を振り返る」座談会
莫高窟九層楼前
8月3日
終日 莫高窟見学
敦煌賓館貴賓楼のエントランス。来賓のバスや車が到着すると、天女が現れて出迎えてくれる。中にもたくさんいらした。みんなかわいい。写真を撮っていいか聞くと、いろいろなポーズをとってくれる。みなさんきれいだったなー。
ナフキンは全員違う折られ方をされているが、席に着いた途端にホール係が横に付いて、さっと崩して食事の準備を整えてくれる。
ナフキンをひし形に、皿の下に一辺の角を敷き、前に垂らす形式。初めてみた。
なのでまだ着席していなかった隣の席の作品を激写。
晩餐の様子の写真は政府関係者などの貴賓もあるため控えるが、盛大なもの。すごいな中国。。。
お茶が注がれ、ジュースも注がれるのだが、そのジュースが2種類
胡瓜のジュース OR 西瓜のジュース
どちらも100%ストレートの絞りたてなのだが、本当にフレッシュな胡瓜と西瓜で、私は無難に西瓜にしたが、隣の同行者は胡瓜チャレンジ。一口飲ませていただいたが、本当にフレッシュ胡瓜。飲み口は爽やかなのだが、飲み干してしまうと晩餐の終わりまで延々注がれ続けることになる。つまり、酒もジュースもワンコ。怖い。この風習。。。。
このお茶、超高級茶だそうなんですが、名前聞くの忘れてしまった。買って帰りたかったのに。。。
敦煌研究院の研究者の方の多くは、平山郁夫先生の基金により東京藝大へ留学していたため、日本語でコミュニケーションが可能だった。お隣の席に来られた張さんは笑顔で一生懸命いろいろなお話や、次々運ばれるメニューの説明をしてくださった。
メニューは日本後の説明もあった。
白木耳のスープ。女性に重要なのでとどんどん勧められる。美味!
これは月牙泉と楼閣ね。
料理はテーブルに乗りきええないほど次々運ばれてくる。これが中国風の歓迎なのだと実感。どれも美味しいのに、すべてに手をつける余裕もない。研究院のみなさんも含め中国の人は食事中の楽しみ方やコミュニケーションが上手。もりもり食べてるのに、話も弾む。それが礼儀なんだろうな。いいカルチャーだなあ。
この豆料理のような卯の花のような食感の料理。がすごく美味しかったのに、かなり後半に出てきて完食できなかったのが心残り。春先に芽吹く木の芽を保存し、供されるのだそう。こちらも敦煌の伝統料理のようです。あとでガイドさんに教えてもらったけど、そのメモが見つからない。そして、この麺が入れ替わりに。
中国式の客人歓迎の典礼を経験でき、また、研究員の方とのお話も弾み、素敵な晩餐だった。張さんは翌日シンポジウムでの講演もあり、たのしみ。
敦煌1日目 –② 8/1ランチ
ガイドさんが地元の人に人気のお店で、自身も大好きというレストランに連れて行ってくれた。
驴肉黄面 つまり、驢馬肉料理の敦煌料理レストランということだと思う。敦煌市内のレストランは「黄面」とある店がたくさんあって、敦煌で採れた野菜が豊富な料理や、驢馬、ラクダ、羊 鶏、汁なし面 が定番メニューで連なっている。何しろ野菜が美味しいので、メニューはどれをとってもほぼ失敗なし。
敦煌のレストランは、消毒済み食器の利用が義務付けられているそう。なので、丸ごと業者からレンタルして、一人分のセットが消毒済みラッピング消毒済み状態で出てくる。箸も封がされている。また、コップなど大量に必要になるものは殺菌マシンが必ず店のホール見えるところに置かれており、そこから出してくるようにもなっている。観光都市を目指して急激な対策が進んでいるんだな。
これが美味しい!! 砂ネギだそう。おかひじきみたいだと言っている人がいたけど、食感も味も、日本人好みで、この後必ずオーダーされていた。
驢馬肉。多少、独特な味わいはあるものの、じっくり煮込まれているのか柔らかく思ったより美味しかった。ろば。。。タレは酸っぱ辛いのが定番だそう。さっぱり食べれて、とてもよく合う。
玉ねぎは赤玉ねぎが使用されていることが多い。万願寺唐辛子みたいなペッパーは時々火を噴きそうなほど辛いのがある。でも病みつき。いろんな香辛料が入っていて、味もさほど濃くなく、野菜の美味しさがとても引き立つ。日本人が喜ぶコクも。
弾力のあるラザニアみたいな麺。美味しいのだが食べ過ぎるとお腹にたまる。
キャベツが甘い! ふつーの豚肉との野菜炒めなのに、絶妙な香辛料使いと塩加減で飽きがこ無い。レシピ知りたいー。
青菜 この野菜も定番中の定番らしく、ホテルの朝食でも毎朝必ず出てた。
筋張ってなくて美味しい。
汁なしの麺。甘辛のあんかけ状。これも日本人が食べやすい。
同時にスープが出てきた。麺が〆というわけではないらしい。味は薄味で淡白なようだけど、野菜の旨味が沁みる。
日本と違うのは、皿に盛られた麺が、平気で絡んだままだし、麺がとても弾力があるのに、やたらと長く、取り分けるのにも人騒ぎになる。ガイドがキッチンバサミを借りてきてくれたが、この時点では皆、ちょっと抵抗が。。。箸で頑張った。
メニューはものすごい数があり、材料がないと、代わりの材料に入れ替えて作ってくれたりするので、セミオーダーが可能(中国語が話せればだが)な様子。ガイドが顔だったからかもだけど。
街は白ポプラの並木になっている。そう教えられるまでは、埃っぽのかと思っていたが、聞いた途端に「うつくしいな」と思えた不思議。
街中のいたるところに飛天がいる。もはや莫高窟壁画に乗っかりまくり。こちらとしては居心地良いですが。
敦煌1日目–① 鳴沙山と月牙泉
空港より直接バスを走らせる。
市街地の建物群を抜ければ常に遠くに、目指す鳴沙山が見えている。農園が広がり始めるとともに鳴沙山の起伏も目の前に聳えてくる。
広い駐車場でバスを降り、のんびり散策気分でエントランスへ向かう。
地元農家の人たちが店を広げている。ハルブーザ(ハミ瓜)食べたい!
道沿いに立ち並ぶ農家やラクダ飼いの家の壁が泥壁に小石が埋め込まれている。流行りなんだろうか。ボロボロ抜け落ちちゃってるけど。
まっすぐ。観光客がぶらぶらと歩く中を農家のリクシャーがクラクション鳴らしまくりで通っていく。申し訳ない(笑)
ラクダ牧場(?)
唐子童子。可愛い子でした。ナツメや干しぶどうを売るおかあさん。
葡萄園の所々にナツメの木が植わっていて、たくさん生っていた。野菜や果物がまさに旬でわくわくする。
不明の雑草と思われる、蔓植物でほんのりいい香りがする。
ぶどうが鈴なり!!
敦煌で一番高級なぶどうは、日本でいう巨峰。「黒い真珠」というそう。写真は干しぶどうやワインにもなる別の品種。そのまま食べても甘くて皮が薄く、とても食べやすい。
入場券購入ブース前。記念撮影スポット。
木立がもう中央アジアぽい。
目の前の砂丘へ。
敦煌の観光地のほとんどが、この数年でどんどん綺麗に整備されていて、トイレもさほど困らない。必ず1−2個は洋式便座もあった。あとは利用者のモラルの育成か。。それはヨーロッパともあまり変わらないので、日本人が神経質すぎるのかもしれないけど。綺麗に越したことはないと思います。。。
水瓶から蓮。正しい図像だと思います。
砂漠だ。アメリカの荒野とはちがう。向こうでラクダ隊が渋滞をおこしている。連なっているのは全てラクダの列。
確かに五色ありそうな気がする。
ラクダは時間の都合もあるので、がまん。カートに乗って月牙泉へ。子ラクダが仕事中のお母さんにくっついて歩いているのが可愛かった。
先輩曰く。「本当のキャラバンではなくて、よかったと」思っているはず。(ラクダ自身が)とのこと。
まあ、確かに。観光用なので毛並みも良く清潔にされている。乾いた灼熱の砂漠に重たい荷物を背負って歩かないで済む。老後は三危山の麓のオアシスで放牧。決して食用にはならない(ガイドさん曰く)断然いい生活だ。
曇っているせいで気温も上がらず、湿度もないので気持ちがいい。
砂山は塩分で固まっているため、形が変わることは無いのだそう。
オアシスは多くの人で賑わっておりました。
本当に美しい砂丘だ。
さらっさらで手につかない。
砂漠で倒れて、幻の都を見ている風ショット。
もう、靴の中に入ってきて、土踏まずが埋まってしまったので、いっそと裸足になってしまう。途端に歩きやすくなって、縄ばしごなしでも登れる。ずぶずぶ埋まるけど、しっとりひんやりして気持ちがいい。砂丘の起伏を登る大変さを実感。これが夢だった。
これは1900年代に復元された、実際にあった寺院。観音が祀られていた。塔は補陀落山の八角ということか。中国ではいつ頃観音信仰が盛んになったんだろう。
わりとどこを切り取ってもフォトジェニック。
観月観音だね。月牙泉の方に向いている。
琵琶腿に(木)木曜休みなんだろうか。>曜日表記ちがう。
柳が笹の葉みたいだが、中国画ぽい絵でよかった。
菩提樹の一種だったかなあ。ガイドさんが教えてくれたのに、もう忘れてしまっている。
出口横に設置されている、顔認証登録マシン。これで顔認証しとくと、退場しても3日間は顔パスで再入場できる。そうじゃなくてもそこらじゅうに監視カメラが設置されているので、あえてここでしなくてもいいでは無いか。とも思う。