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びぶりおてか

私家版 Caffè Biblioteca

東京国立近代美術館の所蔵作品展へ行く。


MOMATのサイトを見ていたら、所蔵作品展に大観の菊慈童が出ているというのであわてて炎天下の竹橋へ。
なんだここに所蔵されていたのか・・・。あいたかったよ。


 最新の図録を手元からなくしてしまったので、こういった大作と呼ばれる部類からは少し外れている作品の所在を探すのに難儀する。
そもそも個人蔵となれば、話題の流れで所在を知る他はそう簡単に行方が知れるわけでは無いけれど、大方何処かしらの美術館に委託しているので、そこまで掴めれば大概数年中にはゆっくり鑑賞する時間がもてる。


 大観などともなると、特別展などの展覧会ではどこから湧いたのか、聞きつけたのか、わんさと人が押し寄せて絵画鑑賞どころではないので、よほどの海外流出作品などめったにお目にかかれない物以外がざざーっと目星をつけて、あとは図録に頼り、後日公開になるのを待ち続けるのが大概。ところがその術も失くして今回は本当に偶々。2008年春の没後50年大観展で惚れて以来探し続けていた彼にやっと廻り逢えたわけだ。


あぁ、あと寒山十拾もだなー。





 日本画の魅力はその画が持つ音だ。画師が描き出したその一瞬間の音に如何にシンクロできるかが、その画の前から人を去らせない力だと思う。
両手で胸元まで引き寄せた大輪の白菊、顔を覆うほどの花房をたわませ頬をよせる。その白菊のざわめきに狂気を覚える。
時の皇帝の寵を突然失い山中の庵に置き去りにされた事実が心を壊していく。不老長寿を得た、つまりはただ悲しむ事で鬼となりはて、菊の甘露を得て永らえる。
画面手前の菊は精気を吸い取られ葉を黄化させ大輪はしなだれているかのようだ。
慈童のふくよかな美しい頬に、かつての栄遇と果ててゆく事の狂気を聞く。










東京国立近代美術館