びぶりおてか

私家版 Caffè Biblioteca

『村上隆の五百羅漢図展』へ 重い腰をあげ

六本木ヒルズ森美術館は私立美術館の鏡だな。
会期中無休の上に、開館時間が火曜日以外は10:00-22:00。
18時にオフィス出たって、それから3時間は入り浸れる。ありがたい。
残された心配事は、森ビルの53階へ駆け上がる高速エレベーターで、
うまいタイミングで耳抜きが出来るか。という事だけだ。

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五百羅漢図4部作は制作中のアトリエがメディアに公開される事もあって、
超大型作品となっていることは既知であった。
そもそも、その名の通り500人の被写体をくまなく描き出すのがその図像なのだから、
形式が変われど、それなりの大作になり得る主題ではある。

この度日本初公開となった、村上隆五百羅漢図は高さ3メートルのパネルがものすごい数連ねられ、
各面25メートルの、全長100メートル
絵画として、その寸法を言われてもまったくピンとこない数字なのだ。

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 展覧会の展示はその4部作が、2室に分かれて展示されている部屋にたどり着く前に、あのDOB君もゲロタンも居り、そこまでの間はアトラクション気分。

図録がまだ発売されておらず、出品リスト頼りに回想するので、作品名が一致していない可能性もあることをあらかじめ申し上げます。。。。
この展覧会、キャプションやタイトルを確認するという作業が、観覧中まったくわたしの中から消し去られており、今更リストを見て作品と一致できるものわずか、あとはどれのことをいっているのやら、、、という始末。
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宇宙の深層部の森に蠢く生命の図
消失点の無い世界
直指人心 見性成佛
∞:727
ストゥーパ
神農の図
王座に鎮座する唐獅子
四天王
天空の城
如来降臨
生命の希望
渓流に咲く梅
ガネーシャ
自然の摂理
シシ神
2015 年
アクリル、金箔、プラチナ箔、カンバス、アルミニウム・フレームにマウント
240 × 3,045 cm
 
全部作品名なのか、登場するオブジェの一覧が付随しているのか不明。
たぶん作品名なのかもしれない。。。。
この作品自体もあまりに長すぎて奥でL字になって展示されてました。
その対面に円相シリーズがあった(はず)だが、、、、写真がなかった。
f:id:itifusa:20151202130142j:image若冲など江戸期の絵師へのオマージュが見られる。
が、、、若冲の鳳凰よりもはるかにお下品(笑
 
 
f:id:itifusa:20151202130202j:image慧可断臂
心、張り裂けんばかりに師を慕い、故に我が腕を師に献上致します
2015 年 アクリル、プラチナ箔、カンバス、アルミニウム・フレームにマウント
100 ×100 cm
こちらはキャプションしか写真を撮っていなかった。
作品名にぐっときたもので。この人、左利きなのかな。
 
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 五百羅漢図 [ 白虎 ] 2012 年
アクリル、カンバス、板にマウント 302 × 2,500 cm 個人蔵
 
五百羅漢図は白虎、青龍、玄武、朱雀の四部作。ええ、神仏習合。集合?
どこかに白澤らしきも居たので、どちらかというと集合です。
 
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人が煩悩を滅してたどり着く境地とは、こんな世界になっているのです。
人としての幸せを見たような気がします。
  
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長沢芦雪 方寸五百羅漢図 (江戸時代・寛政 10 年(1798 年 紙本墨画淡彩)
3.1 × 3.1 cm 個人蔵
 
蘆雪の五百羅漢図は、超ミニサイズ。
 
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なんのドサクサか写真が撮れたので、激写。嬉しい♪
これは初公開のMIHO Museum 以来、好きな逸品。
視力の衰えを思い知らされる。
これは白虎で画中画になっておりました。
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五百羅漢も小さくかけば、コンパクトに収まるのです。
 
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五百羅漢図 [ 青竜 ] 2012 年
アクリル、カンバス、板にマウント 302 × 2,500 cm 個人蔵
 これは蕭白の雲龍図からね。ボストン美術館のコレクションだったか。。。
まさに、現代の表現に変えたらこの通りなのかもしれない。
 
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若冲のクジラと白像図屏風のコラボという、好き勝手贅沢三昧のこの面が、
個人的にも好きなモチーフや表現があり、お気に入りとなった。
 
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これも青龍より。聖体が吐く”氣”から、聖体が生じる。からのインスピレーションだろうか。渦巻きうねる”氣”に粘りがあって重そうなのが、この画風の絶対バランスの一つ。
 
 
 
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潔い落下にも粘り。応挙の滝壺みたいだ。
 
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欲望の炎―金 2013 年
金箔、カーボンファイバー 498.4 × 188.6 × 183.1 cm
開き直ったかの成金趣味。村上画壇の豊富な資金源が象徴されております。
海外にはこの大作現代アートを買いあげる人がいるのだな。もはやここまで観てくると、自分に一切の抵抗がなくなっている村上マジック。
 
 
森美でいつも開催される展覧会はザンシンなものが多く、なかなか出向く機会がない。
でも、この五百羅漢図は制作中からの自分とのお約束でもあったので、待ちに待ったというべきか。見てないものを好みでは無いといってはいけないと自戒の念を込め日本での公開を待っていた。
 絵画の鑑賞はもうずっと、100年越えスパンでの古いものを相手に、絵師がなぜこの絵を、この構図で、この時に、誰のために描いたのか、という問いかけを繰り返しながら筆を追っていく、という本の虫の如しスタンスが通常だった。なのでそれら全てが明らかに公開されている現代のポップカルチャーというものをどう受け入れられるのか、大げさながらも相応の覚悟と抵抗がせめぎ合いを続け、まったく腹が決まらない。今回幸いにも増上寺で同時公開となった、狩野一信の五百羅漢を観覧した勢いに助けられ、重い腰をあげることができた。

村上氏ご本人については、これまでに何度か日本画関連の講演会などでお話を聞くことがあった。(でも、実際に展覧会として作品を見たのは本当にこれが初めて)
日本中世の美術史から途絶えることなく明治期まで続いた狩野派画壇のビジネスモデルに強く関心を示されており、日本の画家が、画壇としてそれを引き継げていないことが、世界へ立ち向かえない一つの弱点であることも指摘されていたと思う。
この五百羅漢図4部作の大型作品の作製をわずか1年間で仕上げる為に、動員された弟子の数は延べ数百人だという。棟梁指揮の下、素材収集部隊、デッサン部隊、24時間作業のシフト化と、”延べ”という要員数がその組織化された分業制を想像させる。それは、展覧会でもその作業の過程を映像化し、また、収集された資料や下絵、指示書を、「残す」前提で作製た上で、公開していることにも明らかに思われる。
つまり棟梁が目指した日本画壇組織の成功例をここに知らしめたのだと思う。

展覧会はカメラを持ち込み、すべての作品が撮影可能、公開も自由となっている。
棟梁の大きな野望は果たされた上で、後はその画を前にして、観たものが何を感じるか、指をさして笑ったり、眉を寄せたりと、自由な発想を得ることが絵師にとっての最高の望みなのではないかと、なんともフレッシュな気分で鑑賞を終えた。
現代画というのは(日本画というにはまだ抵抗もあるが)、作品のプロセスが公となっているものに対して、なんの理解を求められているのかなどの勘ぐりは、彼らはまったく望んでいないのだ。
 
この展覧会会期は、通常の個人の展覧会とは違い、かなりの長期間展示となる。作品群は超巨大なものばかりで、今後再度この規模での日本国内での展覧会は、物理的に不可能と言われているそうだ。
ぜひ、なるべく多くの人に、面白半分、話題半分でも観に行って欲しい。なんてったって、平日の夜22時まで開館だ。しかも平日は空いている。
 
おまけ。
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辻惟雄先生である。。。
作品名はわからない。。。。 

 観覧当日、時間的にも館内は人が少なく、朝日新聞社の取材が来ていた。
連れて行った妹が撮影協力(笑 掲載記事がいつまで見れるかわからないけど。
あまり普段アート鑑賞に馴染みのない若い女性などへのよいプロモーションになるといいな。と思う。
撮影は鬼室 黎氏 とても感じのよい方でした。