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びぶりおてか

私家版 Caffè Biblioteca

ボッティチェリ展@東京都美術館

 

本来ならそこそこ空いているはずの時間帯を狙ったはずが、なかなかの人出。
前日にタモリさんがタモリ倶楽部で突然告知したらしい。『突然告知』だ。
おてて繋いだカップルがやたら多かったのはそのせいだろうか。

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日伊国交樹立150周年 ボッティチェリ展

2016年1月16日(土)~ 4月3日(日)
東京都美術館

 2014年に講談社学術文庫から出版された『神曲』の新訳版を読み始めてから、
神曲が書かれた中世、そして神学史から見たルネサンスの政治と文化の読み解きはとても興味深い。少しでもそのヒントを求めて。
 
 
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Baccio Baldini (possibly after a drawing by Sandro Botticelli)
Dante Scared by Wild Beasts. Illustration of Canto I of the Divine Comedy
バッチョ・バルディーニ(おそらくサンドロ・ボッティチェリの下絵に基づく)
猛獣たちに驚くダンテ(『神曲』「地獄篇」第1歌の挿絵)1480-81年頃
Florence, Gabinetto Disegni e Stampedegli Uffizi
 ダンテ『神曲』地獄篇の序歌となる第1歌、そして道程の意味と導き手の信頼を確認する第2歌。15世紀ダンテ研究者ランディーノの注釈が入り出版された『神曲』への挿絵の版画は、画面上に時系で場面が構図され、段階的にダンテが表されている。

上の第1歌、画面左にうつむく人物。ダンテが何時、なぜこの様な事になっていたのかを説く重要な最初の3行だ。

 我らの人生を半ばまで歩んだ時
 目が覚めると暗い森の中をさまよっている自分に気づいた。
 まっすぐに続く道はどこにも見えなくなっていた。
    (『神曲』「地獄篇」訳 原基晶 講談社学術文庫 2014 (地・1・1-3))
 
そして、その暗い森を抜け、その先に神の正しい導きを象徴する太陽の光線で照らし出される救いの丘を見出す。時制で描き出される画面上方いっぱいにシャワーの様な勢いでその光が描かれている。

 空を見上げると、丘の両肩が
 あらゆる道で人を正しく導く
 あの星の光をすでにまとっていたのが見えた。
           (同上 地・1・16-18)

それでも不安をもった心理状態のままにも丘の麓登っていくが、間も無く行く手にはその道行きを阻む3頭の獣が次々現れる。
画面右より傾斜する丘への道なりに驚き踵を返そうとするダンテの姿が描かれている。3頭は、羨望の罪を表す雌豹、高慢の罪を表す獅子、貪欲な雌狼だ。それらは襲うそぶりを見せてはダンテを来た道へ押し戻す。ダンテは恐怖から先へ進む気力を失ってゆき、にわかに現れた霊に助けを求める。

 これが、その姿から発する恐怖のために
 私を押し潰し、
 ついに私は高みにまで登る希望を失った。
            (同上 地1 52-54)
 (中略)

 破滅の淵へと私が堕ちかかっていた途中、
 眼前に不意に現れたのは、
 長い沈黙ゆえにかすれて見える方だった。
            (同上 地1 61-63)

画面中央、木立から姿を現しているのが、この後ダンテの導き手として、かつ理性の象徴として深く大きな意味を担う古代ローマの詩人、ウェルギリウスだ。
ウェルギリウスは、すっかり怖気づいたダンテへ導き手として、ダンテが望まれた旅に出る事の必然を説く。

 たが、おまえはなぜあの苦しみに戻るのだ。
 なぜ心を満たす山を登らぬのだ。
 それこそが完全な喜びのはじまりであり、その理でもあるのに」。
                     (同上 地76-78)
 (中略)

 「おまえは別な旅をせねばならぬ、
  ー私が涙を流しているのを見てから、その方は答えたー
  人のものならぬこの場所を逃れたいと思うのならば。
               (同上 地1 91-93)

ここに言う「この場所」に現れた3頭の獣はそれぞれの罪が、ダンテが失望し道を見失う事となった現世、大都市となったフィレンツェの次元でもある。その中で自らが堕ちていく可能性のある罪を知り、正しい道を取り戻すための旅だ。
たった一枚の挿絵の中には、これだけの大きなバックグランドが込められている。
 

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バッチョ・バルディーニ(おそらくサンドロ・ボッティチェリの下絵に基づく)
ダンテにベアトリーチェの出現を示すウェルギリウス(『神曲』「地獄篇」第2歌の挿絵)
Baccio Baldini (possibly after a drawing by Sandro Botticelli)
Virgil Showing Dante the Appearance of Beatrice. Illustration of Canto II of the Divine Comedy 1480-81年頃 フィレンツェ、ウフィツィ素描版画室

第2歌、再びダンテは迷い怖気づき、歩みを止めてしまう。

 けれども私は、いかなる使命で彼の地に赴くのですか。誰がそれを許すのですか。
 私はアエネーアースではなく、私はパオロでもなく、
 私がそれにふさわしいとは、私自身も他人も思っていないのです。
                      (同上 地2 31-33)

この先目の当たりにする地獄は、様々な罪とそれ等に神が下した裁きの世界。過去に生身のまま地獄のその有様を見知ったのは名高き聖人と英雄のみ。そこに己が連なる資格があろうはずがないというのだ。
そのダンテにウェルギリウスが旅の意義、導き手となった理由を打ち明け、その正当性を表す。

 私は宙吊りにされている者達に混じっていたが、
 祝福に輝く高貴な女性が私を呼んだのだ。
 そのご様子に命令を下すよう私からあの方に求めてしまった。
                 (同上 地2 52-54)

第2歌の挿絵中央には、天使のように空に浮かぶ女性像が現れている。
この女性像がダンテを神の御もとへ導くよう、ウェルギリウスへ使命を与えた存在。この後、『神曲』の中で彼女の存在意義は明らかにされ意味を深めていく。

 あなたを差し向ける私はベアトリーチェ
 戻りたいと強く願っているあの場所から降りてきました。
 愛こそが私を動かし、話をさせるのです。
                     (同上 地2 70-72)

キリストが生まれる前時代の高貴なる詩人ウェルギリウスは、『神曲』の世界では救済を得ることができない異端者(異教徒)だ。その彼が惹きつけられ、自ら従うことに身を投げ出した「神の恵み」の象徴。その彼女がなぜ異端者に導き手としての使命を授けたのか。この歌で『神曲』の舵は大きく切られているのだという。

 こうして彼女の望むとおりにお前のところに来た。
 美しい山へとすぐに続く道に立ち塞がった 
 あの獣の眼前からおまえを救い上げたのだ。

 それなのに、これは何だ、何ゆえだ。なぜ躊躇する。
 なぜ怯懦に心を巣喰わせる。
 なぜ勇気と自由な心を持たないのだ。
            (同上 地2 118-123)

この後ダンテは深い霧から目覚めたかのような言葉で歌を続け、再び歩み始める。その言葉の清々しさは音を伴うようだ。
そうして画面右奥に、罪の責め苦を目の当たりにしてゆく地獄への道が続いている。
地獄の門の頂に掲げられる言葉が第3歌の冒頭に続く。

 私を通って悲しみの都に至り、
 私を通って永遠の苦悩に至り、
 私を通って失われた者どもの間に至る。

 正義は高き造物主を動かしたり。
 私をなしたるものは、神の力、
 至高の知、第一の愛。

 私の前に造られたるものはなし
 永遠なる事物の他には。
 そして私は永遠に続いていく。
 あらゆる希望を捨てよ、ここをくぐるおまえ達は。
             (同上 地3 1-9) 
参考文献及び引用
ダンテ・アリギエリ (著), 原 基晶 (翻訳)2014
 
 

Botticelli e il suo tempo 

この時代の登場人物はその殆どが主役級で、レオナルド ダ ヴィンチ、マキャベッリ、ミケランジェロ、漫画化されたチェーザレボルージャの世界ではこういった人たちがトスカーナ地方を舞台に次から次へと登場する。
 
その頃の芸術家たちの活躍に必ず登場するのがメディチ家。ロレンツォ メディチ、そして、聖俗が切り離せなくなった時代、大いなるスピーカー 、サボナローラの台頭で、そのメディチ家フィレンツェを追われてゆく。
権勢の行方に全てが大きく影響を受けたこの時代の、彼等一人ひとりが、あまりにもドラマチックな人生を送っている。
 
ボッティチェリの絵の中に在る人物たちの、真っ直ぐで鋭い視線が物語る。
幻想的な描写の中に在るものは全てが真実だったんだ。
 
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ヨハネス・アルギュロプロス アリストテレス『論理学』のラテン語翻訳
Giovanni Argiropulo Aristotelis Logica translated into Latin
15世紀(1465-78年) 彩色写本
フィレンツェメディチェア・ラウレンツィアーナ図書館 Florence, Biblioteca Medicea Laurenziana 
美しい装丁の本だった。(装丁は殆ど見えないけど)
図録に装丁の写真が無かったのが残念。
当時本はまだ高価で、富裕層は私設の図書館を持ち、芸術家や学者などに提供し育てていた。文化や芸術への先進的な投資に揺るぎない豊かさがうかがえる。
この本を這う様に文字を読み込む、あの中の誰かがきっといたのかもしれない。
 
 
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愛の勝利(フランチェスコ・ペトラルカ『カンツォニエーレおよび勝利』に収録)
Triumph of Love (in Petrarch, Canzoniere e trionfi)
サンドロ・ボッティチェリ 1470年代初頭
ペン、インク(尖筆の上に?)、茶色の水彩、青とスミレ色の顔料、羊皮紙
ラヴェンナ、クラッセンセ図書館 Ravenna, Biblioteca Classense
 このベトラルカの『カンツォニエレ』の挿絵に関しては、公開日にイタリア文化会館で開催されたシンポジュームで、監修者の一人である美術史家でフィリッピーノリッピの研究者であるジョナサン・K・ネルソン氏が紹介していた。
この画はこれまで工房作、または修作とされていたが、馬の描写、後手に縛られた人物やクピドの表現が、ボッティチェリの筆致、描写に相違ないと判断し、この展覧会ではボッティチェリ作として展示されたとのこと。作品自体の来歴や図録に詳しく記述されている。
 
 
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サヴォナローラへの傾倒が指摘される、ロレンツォ死去1492年以降の筆の変化は、
そこに投じられているものが違っていて目を見張る。
これは私のような素人目にもよくわかる変化。
練熟に至るといえばそうだが、宗教画に対する意義が変わっているのは確か。
 
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アペレスの誹謗(ラ・カルンニア)Calumny of Apelles
サンドロ・ボッティチェリ 1494-96年頃
テンペラ/板 フィレンツェウフィツィ美術館
 
 『アペレスの誹謗』にどっぷりと移入させ、至福の状態でグッズ売り場へ突入。
トートバックは800円くらい。大きくてマチがあり、丈夫な作りなのに、とても軽い。
稽古着と小物を入れて持ち歩くのに、非常にぴったり。これはお値打ちであった。
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そして、へんなイタリア熱のテンションのまま、グッズ売り場の隅をうめる様におかれていた古地図のポスターに心を奪われる。
しかも閉館前の長蛇となったレジマチ列をふらっと離れてまで。
 
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 舐める様に見たが、年代が書かれていないためいつの者の複写かわからず。
ずっと古地図が欲しくて探してたこともあり、書かれた文字が明らかにイタリア語ではなく、TALLAEとラテン語があったのでもしやと買ってしまったが、、
結局17世紀の地図でした。まいっか。
知ってる地名をマークして、本日はご満悦で就寝につく。
 
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                                            Venezia
                   Verona
               Mantova
                             Ferrara
                         Parma
                Lucca
           Pisa
Genova
                         Firenze
                                    Roma
                                              Napoli
 
 
なお、ベトラルカの『カンツォニエレ』については、挿絵のソネットではないが、
2014年に発刊された新訳版『神曲』「煉獄篇」巻末の解説に翻訳者の訳による 
『カンツォニエレ』第一ソネットが併載されている。
日本語訳されていても、ソネットの四四三三行の形式を保ち、
美しいことばの流れと表現は十分にその世界を味わえるので、勝手ながらここに紹介したい。
 
    『カンツォニエレ』第一ソネット
 あなた方、散り散りの詩篇のうちに、
 私の一部が今の私とは別人であり、
 若く道を逸れていた間に
 心の糧としていた、かすれた吐息の奏でる調べを聴く人々よ、

 私が涙しつつ語る、虚しい希望と虚しい苦悩の間を
 揺れ動く様々な文体のうちに、
 愛を経験して知る人がいるならば、
 許しだけではなく、憐れみをこそ見出して欲しい。

 だが、今は私にもよくわかっている、長い間、どれほど
 すべての人々の笑いものとなっていたかが。そのことでしばしば
 私は自分のことを自分自身で思って深く恥じ入るのだ。

 だからこそ、その恥こそは果実なのだ、
 私の虚しい言葉の戯れの、悔恨の、この世での楽しきことなど
 短き夢であることをはっきりと知ったことの。
 
   『神曲 煉獄篇』 講談社学術文庫 2014年 
    ダンテ・アリギエリ/原 基晶 訳
   p.638「『煉獄篇』を読み終えてーカヴァルカンティ、ダンテ、ペトラルカ」
 
 なお、個人的には同様に併載のグイド・カヴァルカンティ『貴婦人よ、我に頼みたまえ』の方が好み。もはやぐうの音も出ないほどつきつきられた愛です。
 
            
         神曲 煉獄篇 (講談社学術文庫)
 

神曲とは編集