佐野は葛生のたび
上毛野阿蘇山葛野を廣み延ひにしものを何か絶えせむ(巻14-3434)
と土地を名指しで詠まれていることからも、よほど葛がはびこっていたのだろう、その土地柄由来と考えられているそうだ。
この歌にある葛は葛藤のことだそうで、蔓性植物。その一種がうちの裏の土手にもはびこるが、その強さと粘りを思うと、なんとも想われている方も気の毒になる程重い比喩だ。。。
運の尽くる処は、最明寺殿(時頼)さへ修行に御出で候上は候。
葛生へ若冲の『菜蟲譜』をみにいきたること。
奥の大根の葉が、画面手前に大きく垂れてきている。
これまで見てきた小さないきものの世界は、
畑に腹ばいになって、大根の株の合間から覗いていた景色だったことが、
このエンドロールで明かされるんだ。
まだ畑に埋もれる大根は、泥をかぶっているから、水洗いされた白さはない。
この作品唯一の白の裏彩色が、その効果を発揮してたのではなかったか。
冬瓜の輪郭に、指揮総監督、斗米庵若冲翁(正確には『斗米庵米斗翁行年七十七歳画』)の落款が入って幕が降りる。
この冬瓜の上部、筆のイガイガはなんの効果なんでしょうね。
やはりこれは実際に見ても、ぴんとこず。なんだろうなー。
修復調査報告文献となる図録。読みやすく、修復前との画像比較が充実してて、1.000円はお値打です。
そして、美術館のグッズ。二重丸です。
トートバッグ(1000円)はマチ付きなので、稽古の道着などがまるっと入ってちょうど良い。
手ぬぐいも単色なのに、1000円だけど、モチーフの勝利。
お年賀用に使いたいほどですわい。
あんこちゃん、ごめんね。
高橋信行「サンシャイン」@BASE GALLERY
当然それは絵のなかの時間が経過していくということではなくて、画家の脳にあった情景から切りとった、その空間の流れ。
観る者が絵に没入を果たした途端に再生する、画家が吐き出したその長い一瞬が生きていないと成らない。
100年も経てば見る側の思考も文化も変わるから、伝播の仕方は当然姿を変えるかもしれない。でも肝心なのは、人がその絵の前に立った時に動き始める力なんだと思う。
脳に残る風景をもっともっと見ようとして皮を剥ぎ取り、残った色。
対象の存在が単色のみで最大限に映し出され、画家の目に映る景色がこんなにもはっきり見える。
2015年2月公開 ヴァチカン美術館 4K/3D 天国への入口 試写会にいってきた。
来年2015年2月に公開される4K/3D映画
『ヴァチカン美術館-天国への入口』を観てきた。
映画は、複数の作品にスポットを当て、現在の映像技術最高の再現性でそれらの作品のストーリーを語る。
冒頭、3Dグラス掛け始めの違和感を解消するのは、
幻想的な螺旋二重階段を見下ろす場面。
そこからこの映像世界にグイグイ引き込まれていく。
館内を通り抜け、次の室へ入るカメラアングルはわずかに低めので進むが、これが逆に臨場感たっぷりで、実際に室内に入って行くときの圧倒的な雰囲気がよく再現されていた。
3D映像によくある、どーーーーっと来たのにスクリーンサイズからはみ出た時点でいきなり視界から消える(現実)。。。。というずっこけ感もない。
フレームアウトしたものは、単に視界から消えている感覚で、
自分でその部屋内に進んで行っているのだ。
美術品の高画質3D映像といえば、NHKドキュメンタリー張りの、肉眼の限界を超える絵画の真実とか、彫刻の立体感再現への飽くなき挑戦のようだが、この映画は構想がそこではなかった。
たとえば、フレスコ画に良くある群集図。
前後に重って描かれる人物達個々をより立体的に、また距離感を起こし、まさに三次元空間に変換しようというものだった。
そもそも、ローマの街中にある教会の荘厳装飾もそうであるように、この映画に登場するシスティーナ礼拝堂のミケランジェロの天井・壁画群は、見るものをいかに圧倒し、思い描く天上界を具現化するため、高度な立体画法が多様されている。それを尚且つ2Dから引き剥がして立体化させるなど、画家が意図したことなのだろうかと、少し訝しんだのも正直なところだった。
けれどその実、そこが面白い試みだったわけで、画家が筆をとり、二次元へ落とし込むまでの「脳内」、そこに思い描かれていた空間世界の再現。が、そこにあった。その発想は絵を見る者にとっては新しい刺激だった。
その3Dの世界観には、画家が発する熱、感情の起伏、構想のプロセス、全てを捧げる大作へのエネルギーが、次々に息を吹き返していくようだった。
吹き替え音声で作品の説話が流れる中、画家の脳内にある神話がもう一度回り始める。
3D映画というと、なんだか色々飛んできたり、出っ張ってきたりと思いがちだが、その要の実は映像の奥行きで、観る者をその空間に引き込み、恰もその場に立ち会っているかの様な感情移入を引き出す効果なわけで、私が初めて見た3D映画の『Alice in wonderland』についても確かに、何かがが降ってきたり、トランプが飛んでくる位はあったが、圧倒的な印象はその映像美と色彩だった。
この映画に登場するのは当然絵画だけではなく、「ラオコーン群像」、「ベルヴェデーレのトルソ」と、現代人にはあり得ない盛り上がりを見せる筋肉の構造、肉体美、大理石の白い肌の裸体美に、手を伸ばしてしまいそうな距離感で舐めるように見せてくれる。
陰影で成り立つこの世界をより鮮やかに脳に刻み付け、両壁面いっぱいに並ぶ古代彫刻の1室を独り占めで眺める感覚。贅沢だ。 現実には入館にさえパスポート片手に長蛇の列の人人人、独り占めなどそうはいかないのに、もう一度いかねばなるまい。と思わされる。
『ヴァチカン美術館ー天国への入口』がまず伝えているのは、その駆使された映像技術でもあるかもしれない。 ヴァチカン市国へは初めてのローマ旅行で先ずは訪れるスポットだし、その目的が余程信仰によるものでなければ、順路に導かれて、ヴァチカン美術館の主要スポットを通り抜け、気がつけばサン・ピエトロ広場に吐き出されスイス衛兵を隠し撮りしてその行程をおえる。 バチカン美術館が複数の館で構成されているなど二の次だし、欧州の美術史を意識せず観て回れば、階段の手摺りから床のモザイクまで眼に映るものすべて美術品という異次元空間でお腹いっぱい胸いっぱいになる。
以下、配布された参考資料より。
ヴァチカンミュージアム(Musei Vaticani)
サン・ピエトロ大聖堂(Basilica di San Pietro in Vaticano)
システィーナ礼拝堂(Cappella Sistina)
ラファエロのスタンツェ(Stanze di Raffaello)
ピオ・クレメンンティーノ美術館(Museo Pio-Clementino)
ブラッチョヌオーヴォ(Braccio Nuovo new wing)
ピナコテーカ(Pinacoteca)
現代宗教美術コレクション
主な登場作品
ピエタ(Pietà ) ミケランジェロ 1498ー1500年、/サン・ピエトロ大聖堂
システィーナ礼拝堂の『天井画』、『最後の審判』1506ー1541年
アテネの学堂(Scuola di Atene) ラファエロ 1509年
/ラファエロのスタンツェ(Stanze di Raffaello)/署名の間
ベルヴェデーレのトルソ (Belvedere Torso)
キリストの変容(Transfiguration) ラファエロ 1516–20年
聖ヒエロニムス レオナルド・ダ・ヴィンチ 1482年
キリスト降架 カラヴァッジョ
ボルゴの火災 ラファエロ 1541年 /ラファエロのスタンツェ(Stanze di Raffaello)/ボルゴの火災の間 (Stanza dell'incendio del Borgo)
キリストの埋葬 カラヴァッジョ
高野山の名宝@サントリー美術館
本年最大規模の台風 "ミツバチ君" 来襲の中、究極のオフピークを狙って、
運慶フルカバーの為には、いつかは高野へ八大童子像に逢いにゆかねばなるまい。と思っていたが、先方からお運び下さったので、早々ご挨拶に。
気持ちが急いたせいか、童子さん等がおわす第3室へ直行してしまった。サントリー美術館てボリュームは丁度よくて好きなんだけど順路へんだよ。
第二の目的としていた聾瞽指帰を求めて1室へ。
国宝『聾瞽指帰』 空海筆 紙本墨書 上・下巻 8~9 世紀金剛峯寺写真が無いので、図録より。
空海の真蹟というこれは、仏教の教えがどれ程優れているかを説いたもの。
芸術としての書はまったく解らないが、筆を追って入り込めたら「好きな書」ということにしている。
当然、読めもしないが、序文より文字を追って行くと、章立て毎に筆が乗って来る中盤から、筆勢が上がり力が入っていくのがわかる。
筆を直し墨を付けるタイミングや、段落のクールダウンを考えてたらこちらまで熱くなってくる。
国宝『諸尊仏龕』 1基 木造素地 中国・唐時代(8世紀)金剛峯寺
想定外の嬉しい出会いだ。
白檀の仏龕。美しい。
檀像彫刻の技術が存分に発揮されている。三尊の指先など一部の惜しい欠損を除けば、さすが檀像、1200年以上を経ているとは思えない状態。
第3室の円形に大きく仕切ってある中に、お不動産と八大童子像がガラスケース無しで、背後には廻れないが、乗り出せば限りなく間近で見れる展示。なんと寛大なんだろう。
なにより顔の造形が秀逸なお像だちで、忿怒の表情もより人間的。
ただ、腰の辺りは思ったより大分すっきりしたラインだった。
運慶のあの、重心の入った肉感のある胴回りという訳ではなかったかな。
順路を誤ったことで先に八大童子にエネルギーを使っていたにも関わらず、 甘いものは別腹とばかり、図らずも空海VS運慶 (あくまでも個人的に。快慶の方がボリュームあるし。。。) となってるこの展覧会。 待ちに待った甲斐があったわけだ。 これでまた、高野山への足が遠のいてしまうかなと思ったが、益々あのお山の空気に触れてみたくなった。
旧岩倉具視邸ニテ妄想二耽タルコト
あまりにお天気が良かったので、早起きして岩倉へ。
平安の時代から続く公家同士のえげつなく目先しか見ない覇権争いが、この時代を引っ掻き回し、手に負えない事態を引き起こす。
養子縁組に出した息子の里親先で、村名と名字は単なる偶然らしい。
その後、実相院境内にあったこの家を買い上げ、南側の母屋を増築。7年間の幽居生活を送った屋敷だ。
こんな天気の日だったろうか。
炊事場、勝手口からの北側居室内を見る。