びぶりおてか

私家版 Caffè Biblioteca

佐野は葛生のたび

世間は紅葉狩り真っ只中の三連休最終日。
つべこべ悪態をつきつつも、時間に追われない僻地への電車の旅は好きなのだ。
葛生」という地名も、なんだか響が好きだから気になる。
 
来てみれば、東武鉄道佐野線のどん詰まりである。
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駅前は、南側に広大なメガソーラー「葛生太陽光発電所」だそうだ。
北側はお寺さんのこれまた広い墓所が広がる奇跡の地価だ。
 
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周りの山は関東の黄葉が柔らかい。
 山間部から掘削した土を運ぶダンプばかりが行き交う、地方の幹線道路。
埃っぽいから避けて住宅街を抜けて歩くと、民家のポストなどへ手書きされた住所に、「安蘇郡葛生町・・・」と残されている家がまだ大分あった。
葛生の地名は、万葉集 東歌にある恋歌(比喩歌)に
 上毛野阿蘇山葛野を廣み延ひにしものを何か絶えせむ(巻14-3434)
と土地を名指しで詠まれていることからも、よほど葛がはびこっていたのだろう、その土地柄由来と考えられているそうだ。
この歌にある葛は葛藤のことだそうで、蔓性植物。その一種がうちの裏の土手にもはびこるが、その強さと粘りを思うと、なんとも想われている方も気の毒になる程重い比喩だ。。。
 
f:id:itifusa:20141124234156j:plainそれほど悪くないダイヤだと思う。
 
第一の目的は、吉澤記念美術館で公開されている、伊藤若冲の『菜蟲譜
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駅に着くなり、町を挙げての若冲祭りだった。
 
f:id:itifusa:20141124234239j:plain採石車両の展示も若冲押し。
 
佐野って他に何があるんだろう。。。とFacebookでつぶやいていたら大先輩から、
鎌倉5代執権北条時頼の廻国説に因む、謡曲『鉢木』。
佐野源左衛門の佐野だと、素敵なヒントをいただいた。
 
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鉢木という町名があり、願成寺というお寺さんに佐野源左衛門常世の墓があるという。
駅からは徒歩で25分ちょっと。電車もなければバスもない。
駅前にタクシー乗り場の看板はあったが、タクシーの姿は、道路を走る姿さえ見なかった。
一人1台の車社会なのだ。
 
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臨済宗建長寺派 梅秀山願成禅寺 とある。
藤原秀郷の開基、建長寺は時頼建立。
宗派はちょくちょく変わることがあるので、いつからなのかはわからないけど。
 
謡曲鉢の木→鎌倉殿→佐野源左衛門常世→東国の老武者→好き(三浦義明など)
建長寺→5代執権北条時頼明月院(好きなお寺)
藤原秀郷→秀郷流→西行→好き
 
たくさんのキーワードが重なると、
「ちょっと寄って行きなさい」と言われているようで。
ご縁だね。
 
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お参りの方の為に大分配慮されており、訪ねやすい。
 
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僧の「鎌倉」の言葉に呼応するかのように、重いはずの武士の口が、
腹に据えた信念を語り始める。

 運の尽くる処は、最明寺殿(時頼)さへ修行に御出で候上は候。
 かやうに落ちぶれては候へども、御覧候へ、これに物具一領長刀一枝。
 又あれに馬をも一匹つないで持ちて候。
 これは只今にても、あれ鎌倉に御大事あらば、ちぎれたりとも
 この具足取って投げかけ、錆びたりとも長刀を持ち、
 痩せたりともあの馬に乗り、一番に馳せ参じ着到に附き、
 さて合戦始まらば、敵大勢ありとても一番にわって入り、
 思ふ敵と寄り合ひ打ちあひて死なんこの身。
 このままならばいたずらに、飢に疲れて死なん命、
 なんぼう無念の事ざうぞ。
  <中略>
 言葉乃末を違ずして、参りたるこそ神妙なれ。
 まづまづ今度の勢づかひ全く予の儀にあらず。
 佐野源左衛門尉常世が言葉の末、眞か偽りか知らん為なり。
 何よりも切なりしは、大雪降って寒かりしに、秘蔵せし鉢の木を切り、
 火に焚きあてし志をば何時の世にかは忘るべき。
 いでその時乃鉢の木は、梅櫻松にてありしよな。
                      謡曲『鉢木』※
 
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 激動の時代に生きる人たちの、心根の強さを感じる美しい言葉の流れだ。
とても良いものに触れられた旅だった。
 
 
※出典がわからなくなってしまった。閉館前の図書館で書庫から金帯資料を何冊も出してもらって、とりあえずコピーしまくってきたので、書誌を書き留めるのを忘れた。複数の資料をつなぎ合わせた。
 

葛生へ若冲の『菜蟲譜』をみにいきたること。

 菜蟲譜は前回見たのは前半部分を2010年の千葉市美『伊藤若冲アナザーワールド』、
今回の修復前、ということになる。
ありがたや、と襟を正して見に行ったものだ。
2000年の若冲展にも出ていたが、正直、半狂乱のごとくの展示数の中、「野菜がかわいかった」という印象しか残っていない(それで十分だと思う)。再発見の貴重品だったということも、だいぶ後になって知ったわけだし。
 
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この巻物は、印刷や複製技術がこれだけ進歩した現代でも、実際に見るのと、図録で見るのとでは、がらっと印象が異なる。
薄墨を引かれた背景と、柔らかでも明るい色使いの絶妙なニュアンスは、
実際に見て体感しないことには、とても味わえない。
 それが修復、クリーニングされたのだから、野を越え山越えでも見に行かない手はない。
来年から始まる若冲生誕300年記念ラッシュで引っ張りだこなのは目に見えているが、
ブーム再来必至なのだから、今のうちに落ち着いて見ておかないとだ。
 
後期公開なので、後半部分約5mを、気がつけば80分間。
ストレスなく堪能させて頂く。吉澤記念美術館、いいねーー。
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後半部分の蓮の実が散らばるところからスタート。
小気味良い波状で、菜蔬が連なる。色彩のメリハリが視線の移動を促す。
写実から生まれた若冲のデザインスタイルがここに結集する。
愛すべき食の恵みたちの愉快なリズムだ。
 
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印象的なアゲハチョウの登場から、蟲たちの世界に誘われる。
見るものの視線はすでに、自然な導きに連れられて行く。
葛の蔓がすーと伸びる先にまた、視線の波がアップダウンし、要所要所に鮮やかな色彩で虫や蛙が描かれるポイントがある。
 
細くシャープな蜘蛛の糸が、料紙を斜めに横断する。目は自然とそれを追う。
その先にいるのは、ニホントカゲの鮮やかな青色よりもっと下。
普段の私たちの世界では、気にも留めないか、忌み嫌うような、小虫たちの営み。
誤って這い出てしまった今にも干上がりそうな蚯蚓に群がらる蟻を、やるせない気持ちで見つめたり、このカマキリ、このあいだ鶏頭の上に止まってた、孤独の雄蟷螂ではなかったか。とか。
息を潜めて、彼らの会話を、やりとりを眺めている。
 
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場面は水辺へ続き、水流を描くみずすましと、泳ぎだすイモリが、新しいリズムを作っている。
そして、大好きな蛙。
私はこの蛙の腹にいつも、”Fin"と書き入れたくなる。
ちょうど映画の終わりみたいに。
蛙の背後に現れる、まだ畑に植わる野菜群は、エンドロールだ。

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奥の大根の葉が、画面手前に大きく垂れてきている。

これまで見てきた小さないきものの世界は、

畑に腹ばいになって、大根の株の合間から覗いていた景色だったことが、

このエンドロールで明かされるんだ。

 

まだ畑に埋もれる大根は、泥をかぶっているから、水洗いされた白さはない。

この作品唯一の白の裏彩色が、その効果を発揮してたのではなかったか。

 

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冬瓜の輪郭に、指揮総監督、斗米庵若冲翁(正確には『斗米庵米斗翁行年七十七歳画』)の落款が入って幕が降りる。

この冬瓜の上部、筆のイガイガはなんの効果なんでしょうね。

やはりこれは実際に見ても、ぴんとこず。なんだろうなー。 

 

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修復調査報告文献となる図録。読みやすく、修復前との画像比較が充実してて、1.000円はお値打です。

 

 そして、美術館のグッズ。二重丸です。

トートバッグ(1000円)はマチ付きなので、稽古の道着などがまるっと入ってちょうど良い。

手ぬぐいも単色なのに、1000円だけど、モチーフの勝利。

お年賀用に使いたいほどですわい。

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館のスタッフの方々もとても穏やかで、よい美術館でした。
また、公開された際にはみにいこう。
 
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伊藤若冲《菜蟲譜》光学調査・修理完了披露展
佐野市立吉澤記念美術館
2014年11月1日(土)~12月14日(日)
 
 

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伊藤若冲とは - はてなキーワード

 


菜蟲譜とは - はてなキーワード

 

あんこちゃん、ごめんね。

ピンポンパールのあんこちゃんが、逆さまになったきり、元に戻らなくなった。
 
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これは元気に泳いでいた頃のあんこちゃん。
 
今は下向きになったきり、
目だけきょろきょろさせている。
その姿がかわいそうでならない。
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3週間前に、水草に引っかかって休憩している事が多くなっが、
どうしていいのかわからずにとりあえず塩水浴に変えた。
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もう明日の朝は水面に浮いているかもしれないと、覚悟して就寝することもなんども。その度、少しすると元気に泳いで、ご飯をおねだりするので、こうやって休憩する金魚なのかもしれないと、塩水浴は続けつつ、かなり油断していた。
 
数日すると、泳いでいる途中で、力を抜くとコロンと、頭が下向きに、逆さまに浮いていってしまうようになった。
 
そして、この1週間でその状態で浮いているのがほぼずっと。
たまに泳いでも9割方逆さのまま浮いている状態だ 。
この頃、なんとなく、目が出っ張ってきてたような気がする。
まだ4月に生まれたばかりの小さな子だったので、成長の過程で
面立ちが変わるものなのか、とのんきに思っていた。
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それでも、こちらの姿を確認すると、ご飯をおねだりするので、
かわいそうで断食させられず、朝にほんの少しだけあげていたが、
1週間前の朝、もう、気付いても食べようとしなくなったので、早々に水換えをした。
 
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左目の下に、水泡眼みたいに、水泡ができた。
それまで逆さになるばかりで、目に見える症状がなかったので、
ネットでなかなか病気を探しにくかったけど、「ピンポンパール 水泡」で
一気に、検索結果が出てきた。
どの記事もちょっと前にピンポンパールが流行った時の記事で、この品種特有の奇病として扱われている。
たくさんの愛好家の方達が、いろいろな薬浴を細かな検証で試しているが、
ほとんど原因も、効果もまちまちで、専用の薬もない。
 
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皆さんの統一見解の一つは、やはり水質にデリケートな品種であるということ。
それは思い当たる節がある。
あんこちゃんより先に買ってきた琉金種の「はこちゃん」が、1週間ほどで、元気がなくなってしまい、金魚屋さんに相談したところ、
どんぶり飼いをするべく、毎朝水換えをしていた事が、どうやら原因ということがわかった。phだとか、水温だとかの問題。
水換えは半分の量を5日から1週間程度でやるように言われ、その際に一緒に飼う前提で、このピンポンパールのあんこちゃんを買ってきたのだ。
 
あんこちゃんのトリートメントが終わり、いざ、一緒の水槽に入れた途端に、
はこちゃんがあんこちゃんを追いかけまくり、10分もしないうちにあんこちゃんがぐったりしてしまったため、結局個別の水槽で飼うことになった。
 
そこから、2個になった水槽は、はこちゃんのペースで水換えが行われるようになった。
ところが、なぜかあんこちゃんの水の汚れが、はこちゃんより倍くらい早い。
それでも水換えを我慢していたのだが、5日目で、あんこちゃんが、あっぷあっぷし始めたので、あんこちゃんだけ先に水換え。
2匹はまったくの個別管理となった。
それでもギリギリまで、水換えを我慢して。。。それが、あんこちゃんにとっては致命的な問題だったわけだ。
ほぼ3日おきに水換えをしていたが、あんこちゃんはみるみる弱ってきた。
そしてとうとう、さかさまになったきりに。
 
金魚ってこんなに飼うの難しかったっけ。。。。
 
水温は、水道水がそのまま22度なので、水槽の横で前の晩からカルキ抜きをし、
10リットルに15グラムの塩。
水槽と、水換え用の容器をキッチンハイターで2分間浸け、その後流水でよーく洗ってから行う。
これを毎日。
 
ただ、わからないのは、目の下の水泡はいつのまにかなくなっていて、
他の人のブログに見られる水泡症のように、ボディーやヒレには水泡は出てきていない。
 
ただし、水換えの際にあんこちゃんを手に乗せると、以前とはまったく感触が異なり、体は、それこそ水泡のように、ふにょふにょしている。
飼い始めた頃のように、コロンと張りのある感覚が一切ない。
違うものが手の中にあるみたいで、ごめんね、としか言えない。。。
 
3日前から尾びれと背びれの一部が繊維みたいな意図を引いて、
ほころびているのに気がついた。
今のところ、その一筋の部分だけで、進行はしていないけど、
なんだか、水泡症とはちょっと違うのだろうか。
 
ネットでいろいろ見たけど、結局薬剤を何を買えばいいかもわからず、
観パラDを買ってみた。これと、塩水で、薬浴をさせてみようかと思っている。
3件探したけど、お店では売っていなかったので、ネットで急いで注文したけど、
明後日、届くまでは塩水だけで、頑張ってほしい。
 
ごめんね、あんこちゃん。
なんにもわからないよ。
 
さっき、水換えした後、なんども泳ごうとしてるけど、
とうとう、正位置で泳ぐことができなくなったのかもしれない。
ただただ、もがいている。
暗く覆ったほうがいいのだろうか。無駄な体力使わないでほしい。
 
体内にガスでも溜まってしまっているのだろうか。
真っ逆さまになった腹部が浮きすぎてて、尾ひれがガラス面についた状態で、水面から少し出てしまっている。先っぽだけ乾いちゃったらどうしよう。
さっきから一生懸命下に向かって泳ぐけど、底まで行く前に、ぶわーーっと、さかさまのまま浮いてきてしまう。
 
がんばって。あんこちゃん。
 
 
 
 
 
 
 
 

高橋信行「サンシャイン」@BASE GALLERY

 
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作品タイトルやキャプションがつかない展示。
ありがたや。
横についていると、つい、すぐに種明かしが見たくなってしまうからな。
 
可能な限り没入できる良い環境でした。
 
いつも、この方の作品を見ると、描き上がった絵にタイトルをつけるのが、産みの苦しみを超える一番の苦痛なのではないかと思ってしまう(笑)
 
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絵が百年後にも生き続けるには、その絵の中で常に時が流れていなくてはならない。
当然それは絵のなかの時間が経過していくということではなくて、画家の脳にあった情景から切りとった、その空間の流れ。
観る者が絵に没入を果たした途端に再生する、画家が吐き出したその長い一瞬が生きていないと成らない。
100年も経てば見る側の思考も文化も変わるから、伝播の仕方は当然姿を変えるかもしれない。でも肝心なのは、人がその絵の前に立った時に動き始める力なんだと思う。
 
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この画家の脳に在る景色は、ことごとく削ぎ落とされ、
物理にかなった明白な穏和だけが残る世界になる。
 
とうに立体は外され、今や円みさえも引き剥がされている。
 
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この人にとっては色彩さえも、時には煩わしくも過度なものなのだろうか。
脳に残る風景をもっともっと見ようとして皮を剥ぎ取り、残った色。
対象の存在が単色のみで最大限に映し出され、画家の目に映る景色がこんなにもはっきり見える。
 
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左の井桁。。。見た途端に美しい湖面が脳内に映し出されるのは、
なんのマジックなんだろう。 
 
右は弘法もびっくり。東寺五重塔だ。
大切なものは、幾多の震災もものともしなかった心柱ではなく、
軒のスウィングだたらしい。
 
引き剥がしていく作業は、躍起になって瓦礫を除いていくそれではなく、
子供が玉ねぎの実を求めて、一枚皮を剥いでは、実を確かめて、また次の皮を見つけては剥いでいく。こんな行程の様な気がする。
そこに残った玉ねぎの実は、精巧にポジショニングされた画家の脳、景色なんだ。
 
 
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この人が60歳、70歳と描き続けていく絵のことを考えたら鳥肌が立った。
 
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こちらが今回のお気に入り。
 
※ギャラリーに許可を受け撮影しました。
 

2015年2月公開 ヴァチカン美術館 4K/3D 天国への入口 試写会にいってきた。

来年2015年2月に公開される4K/3D映画

ヴァチカン美術館-天国への入口を観てきた。

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映画は、複数の作品にスポットを当て、現在の映像技術最高の再現性でそれらの作品のストーリーを語る。

冒頭、3Dグラス掛け始めの違和感を解消するのは、

幻想的な螺旋二重階段を見下ろす場面。

そこからこの映像世界にグイグイ引き込まれていく。

館内を通り抜け、次の室へ入るカメラアングルはわずかに低めので進むが、これが逆に臨場感たっぷりで、実際に室内に入って行くときの圧倒的な雰囲気がよく再現されていた。

3D映像によくある、どーーーーっと来たのにスクリーンサイズからはみ出た時点でいきなり視界から消える(現実)。。。。というずっこけ感もない。

フレームアウトしたものは、単に視界から消えている感覚で、

自分でその部屋内に進んで行っているのだ。

 美術品の高画質3D映像といえば、NHKドキュメンタリー張りの、肉眼の限界を超える絵画の真実とか、彫刻の立体感再現への飽くなき挑戦のようだが、この映画は構想がそこではなかった。

たとえば、フレスコ画に良くある群集図。

前後に重って描かれる人物達個々をより立体的に、また距離感を起こし、まさに三次元空間に変換しようというものだった。

そもそも、ローマの街中にある教会の荘厳装飾もそうであるように、この映画に登場するシスティーナ礼拝堂ミケランジェロの天井・壁画群は、見るものをいかに圧倒し、思い描く天上界を具現化するため、高度な立体画法が多様されている。それを尚且つ2Dから引き剥がして立体化させるなど、画家が意図したことなのだろうかと、少し訝しんだのも正直なところだった。

けれどその実、そこが面白い試みだったわけで、画家が筆をとり、二次元へ落とし込むまでの「脳内」、そこに思い描かれていた空間世界の再現。が、そこにあった。その発想は絵を見る者にとっては新しい刺激だった。

その3Dの世界観には、画家が発する熱、感情の起伏、構想のプロセス、全てを捧げる大作へのエネルギーが、次々に息を吹き返していくようだった。

吹き替え音声で作品の説話が流れる中、画家の脳内にある神話がもう一度回り始める。

 

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 3D映画というと、なんだか色々飛んできたり、出っ張ってきたりと思いがちだが、その要の実は映像の奥行きで、観る者をその空間に引き込み、恰もその場に立ち会っているかの様な感情移入を引き出す効果なわけで、私が初めて見た3D映画の『Alice in wonderland』についても確かに、何かがが降ってきたり、トランプが飛んでくる位はあったが、圧倒的な印象はその映像美と色彩だった。

この映画に登場するのは当然絵画だけではなく、「ラオコーン群像」、「ベルヴェデーレのトルソ」と、現代人にはあり得ない盛り上がりを見せる筋肉の構造、肉体美、大理石の白い肌の裸体美に、手を伸ばしてしまいそうな距離感で舐めるように見せてくれる。

陰影で成り立つこの世界をより鮮やかに脳に刻み付け、両壁面いっぱいに並ぶ古代彫刻の1室を独り占めで眺める感覚。贅沢だ。 現実には入館にさえパスポート片手に長蛇の列の人人人、独り占めなどそうはいかないのに、もう一度いかねばなるまい。と思わされる。

ヴァチカン美術館ー天国への入口』がまず伝えているのは、その駆使された映像技術でもあるかもしれない。 ヴァチカン市国へは初めてのローマ旅行で先ずは訪れるスポットだし、その目的が余程信仰によるものでなければ、順路に導かれて、ヴァチカン美術館の主要スポットを通り抜け、気がつけばサン・ピエトロ広場に吐き出されスイス衛兵を隠し撮りしてその行程をおえる。 バチカン美術館が複数の館で構成されているなど二の次だし、欧州の美術史を意識せず観て回れば、階段の手摺りから床のモザイクまで眼に映るものすべて美術品という異次元空間でお腹いっぱい胸いっぱいになる。

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護摩で焚かれ、時代と共に劣化していく紙と木のモノクロセピア文化を、侘びだ寂びだと愛でる日本人にとっては、「ルネサンスの煌びやかなヨーロッパの歴史」、と一括りで旅の思い出、「ローマに行ってきた。」と折り目正しく仕舞い込むのも無理はない。
 
それではあまりに勿体無いのだ。
著名な作品が、何を表現し、何が評価されているのか、てんこ盛りの芸術作品の怒涛に押し出され帰って来ることにならないために、そこに何があるのかを確かめてから、それ等を目の当たりにすることが感動の第一歩だ。この映画が芸術鑑賞のプロセスをきっちり押さえてくれるはずだと思う。 それでこそ、駆使された映像技術結集プロジェクトの功績となる。
芸術とは、美術であり、デザインであり、工芸でもある。そしてそれが荘厳であり思想でもある、文明を築いてきた人間に一番身近なものなんだ。
なぜ、あんな稀代の荘厳芸術を見てそう感じるのだろう。 使い込まれた肉体の表現、何かに向かってギリギリまで伸ばす腕、迷いのない視線が、本当は直ぐそこにあるべきものだったはずなんだ。 神話の奇蹟の表現に、生々しい肉体の美を見ることで、「神」と「生身の生命」を同時に体現する。 信仰が文明の進歩を牽引し、そのギャップが古典回帰と新しい芸術を生む。最新の映像技術によって、時を経た宗教荘厳美が告げているものに気付きをあたえるってわけだ。

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以下、配布された参考資料より。

ヴァチカンミュージアム(Musei Vaticani)

 サン・ピエトロ大聖堂(Basilica di San Pietro in Vaticano)

  システィーナ礼拝堂(Cappella Sistina)

  ラファエロのスタンツェ(Stanze di Raffaello)

  ピオクレメンンティーノ美術館(Museo Pio-Clementino)

  ブラッチョヌオーヴォ(Braccio Nuovo new wing)

  ピナコテーカ(Pinacoteca)

  現代宗教美術コレクション

 

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主な登場作品

 ピエタ(Pietà ) ミケランジェロ 1498ー1500年、/サン・ピエトロ大聖堂

 システィーナ礼拝堂の『天井画』、『最後の審判』1506ー1541年

 アダムの創造 ミケランジェロ 1510−1511年

 アテネの学堂(Scuola di Atene)  ラファエロ 1509年 

       /ラファエロのスタンツェ(Stanze di Raffaello)/署名の間

 ラオコーン群像(Gruppo del Laocoonte)  

 ベルヴェデーレのトルソ (Belvedere Torso)

 キリストの変容(Transfiguration) ラファエロ 1516–20年 

 聖ヒエロニムス レオナルド・ダ・ヴィンチ 1482年

 キリスト降架 カラヴァッジョ

 ボルゴの火災 ラファエロ 1541年 ラファエロのスタンツェ(Stanze di Raffaello)/ボルゴの火災の間 (Stanza dell'incendio del Borgo)

 キリストの埋葬 カラヴァッジョ

 

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高野山の名宝@サントリー美術館

本年最大規模の台風 "ミツバチ君" 来襲の中、究極のオフピークを狙って、

『高野山の名宝』@サントリー美術館へいく。

運慶フルカバーの為には、いつかは高野へ八大童子像に逢いにゆかねばなるまい。と思っていたが、先方からお運び下さったので、早々ご挨拶に。 

 

 気持ちが急いたせいか、童子さん等がおわす第3室へ直行してしまった。サントリー美術館てボリュームは丁度よくて好きなんだけど順路へんだよ。

 

第二の目的としていた聾瞽指帰を求めて1室へ。

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国宝『聾瞽指帰』 空海筆 紙本墨書 上・下巻 8~9 世紀金剛峯寺写真が無いので、図録より。

 

空海の真蹟というこれは、仏教の教えがどれ程優れているかを説いたもの。

芸術としての書はまったく解らないが、筆を追って入り込めたら「好きな書」ということにしている。

当然、読めもしないが、序文より文字を追って行くと、章立て毎に筆が乗って来る中盤から、筆勢が上がり力が入っていくのがわかる。

筆を直し墨を付けるタイミングや、段落のクールダウンを考えてたらこちらまで熱くなってくる。

 

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国宝『諸尊仏龕』 1基 木造素地  中国・唐時代(8世紀)金剛峯寺

 

想定外の嬉しい出会いだ。

白檀の仏龕。美しい。

檀像彫刻の技術が存分に発揮されている。三尊の指先など一部の惜しい欠損を除けば、さすが檀像、1200年以上を経ているとは思えない状態。

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 中央の釈迦の衣紋線、諸尊の顔立ち。立体感。
インドから伝来された技術が風化せずここにある。正式な密教継承者として空海へ引き継がれた檀像。
この後、中国の密教は迫害を受け、根絶される。大陸から古代密教が消滅していくんだ。
恵果は中国密教の末路を知っていて、空海に、日本に、託したのではないかと考えたくなる。
史学の上で出来すぎたストーリーはまず疑ってかかるべきだろうが、この神秘性の下の真実をどうか信じたい。
檀像彫刻の技術もまた、その原材料調達の困難さもあり断たれていく事になる。
たった20センチ足らずの檀像に胸が打ち震えつつも、ニヤニヤと笑いが溢れて、四方のガラスケースの周りを、舐めるように何周も横歩きする姿は、傍目に怖かったろうな。
 
 第一の目的とした作品とは別に、新たな心ときめく出会いというのは良く有る。
そこから、自分の中の点がどんどん繋がってくみたいで、きりがない程に楽しい。
 
国宝 八大童子像のうち6軀 
運慶作 木造彩色 鎌倉時代(12世紀) 金剛峯寺
 矜羯羅童子像
 制多伽童子像
 恵光童子像
 烏倶婆誐童子像
 恵喜童子像
 清浄比丘童子像

第3室の円形に大きく仕切ってある中に、お不動産と八大童子像がガラスケース無しで、背後には廻れないが、乗り出せば限りなく間近で見れる展示。なんと寛大なんだろう。 

なにより顔の造形が秀逸なお像だちで、忿怒の表情もより人間的。

ただ、腰の辺りは思ったより大分すっきりしたラインだった。

運慶のあの、重心の入った肉感のある胴回りという訳ではなかったかな。

 

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丁度押さえたい所はくまなくじっくり見れた所で、17時からのアナウンスが入った。
真言声明は聴いたことが無かったので、良い機会。
天台声明の旋律のほうが、少し複雑かな。
散華はポストカード並に堅い紙質で、良く飛ぶこと。
総勢10名程(だったかな)の方々、ポーカーフェースでよく飛ばしてはりました。
さりげなく会場くまなく飛んでいたな。。。全種類頂くことができた。

 

順路を誤ったことで先に八大童子にエネルギーを使っていたにも関わらず、 甘いものは別腹とばかり、図らずも空海VS運慶 (あくまでも個人的に。快慶の方がボリュームあるし。。。) となってるこの展覧会。 待ちに待った甲斐があったわけだ。 これでまた、高野山への足が遠のいてしまうかなと思ったが、益々あのお山の空気に触れてみたくなった。

 

 

高野山開創開1200年記念
高野山の名宝
2014年10月11日(土)~12月7日(日)
サントリー美術館 

 


高野山霊宝館【収蔵品紹介】

旧岩倉具視邸ニテ妄想二耽タルコト

あまりにお天気が良かったので、早起きして岩倉へ。

烏丸線国際会館駅より京都バスを乗り継ぎ、岩倉具視幽棲旧宅へ向かう。
 
入り口がわからず、ぐるり回り込んでしまったが、
近隣も長閑で無駄に歩くのも良しとしよう。
 
和宮の輿入れをお膳立て、江戸へ随行したのを機に、日本史に名を残すべくスタートを切ったはずの岩倉具視が、瞬く間に突き落とされる。
平安の時代から続く公家同士のえげつなく目先しか見ない覇権争いが、この時代を引っ掻き回し、手に負えない事態を引き起こす。
地団駄を踏みたくなる様な伝達の遅延や行違いが足元をすくい、”尊皇”であっても、”攘夷” ”開国”であっても、誰一人とて違いが一致する相手などいない。そして本気で思想を掲げた末端の若者達が血にまみれていくこの国の激動の時代だ。
 
f:id:itifusa:20140928153954j:plain母屋 鄰雲軒 
 
事態の急展開に京都逃げ出さざるを得なかった岩倉具視が身を隠したのがこの岩倉の地。
養子縁組に出した息子の里親先で、村名と名字は単なる偶然らしい。
その後、実相院境内にあったこの家を買い上げ、南側の母屋を増築。7年間の幽居生活を送った屋敷だ。
 
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大分修繕が加えられての公開かと思われる。当時の面影をどの程度残すかはわからないが、実際にこの地にくる事で、洛中からの距離感を知り、見渡す景色に彼が何を思ったのか巡らす。
見えるのは絶望かと思いきや、それでも尚、消される事が無い野心は様々な人を動かし続けていた。
 
それ等を概観できる今の時代に生まれた事は、なんとも嬉しく、楽しくてならない。
青空を仰ぎ幸せを感じる。
 
f:id:itifusa:20140928181122j:plain表門から正面玄関へ続く石畳。
互いを探り合うあの動乱期、大久保はこの門前を何を思って辿ったのだろう。
こんな天気の日だったろうか。
 
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正式な表玄関。タタキがちょっと変わってるけど、古い写真には、やはり沓脱石が置かれていた。なぜ板張りに修繕されているんだろ。
 
決して岩倉は、どれ程日本の行方を純粋に案じていた、とは言い難いかもしれない。恐らくご多分に漏れず、というより、足下にも及ばぬはずの近衛や鷹司と、同じ土俵を踏もうと必死だったはずだ。だからこそ、それ等を概観できた彼の政治感覚が面白く、あの時代の血なま臭さなど、つい忘れてしまい勝ちになるのかもしれない。
 
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玄関間に槍掛け。当時は常識的なものであったかも知れないけれど、
表玄関間目の前に置かれているので、なんとなくそわそわしてしまう。
 

f:id:itifusa:20140928181510j:plain炊事場、勝手口からの北側居室内を見る。

中庭の日差しが軟らかく室内に入るのが良い。
 
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買い入れてから増築された南側の母屋。座敷と次の間。
おしゃれな作りのガラス障子は大宮御所から下賜されたものだそう。
京障子ってことかな。雪見ガラスが大きめサイズだけど、シックでモダン。
 
f:id:itifusa:20140928181659j:plain中庭側から座敷を見る。
 
 
 
f:id:itifusa:20140928181914j:plain具視の遺髪塚だそう。
 
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宮内大臣従一位勲一等公爵 岩倉公座云々。。。
 
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炊事場
 
 
f:id:itifusa:20140928182216j:plainかまどは50センチ程度の高さかな。
 
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表玄関より建物の北側へ回り、中庭側を望む。
 
f:id:itifusa:20140928181826j:plain中庭。
 
 
 
 
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敷石は、ここを通る様々な人達の心を知っているような気がするんだ。
 
 
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対岳文庫の左手に、具視御手植えと言われている松。
松というより、針葉樹(もみのき)かな。
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対岳文庫
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建物は、京都市庁舎を建築した人、、、だったかな。
 
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真鍮のドアノブが懐かしい感じ。
 
入って頭上を振り返ると、薄暗い油彩画がある。
『東京 旧邸之図』具方画 とある。
質素というよりは、やはり、公家屋敷か、立派な(こじんまりした(笑))池泉回遊式庭園をもつ。
右奥の遠景が少しかすんだ東京の空を思わせる。
当時の実際はそんな空気では無かったとは思うが。。。
 
f:id:itifusa:20140929224856j:plain丸の内二重橋
現在の宮城前広場。この辺りに東京の岩倉の旧邸があったのだろうな。
広場の整備の為に土地は買い上げられ、今は見るかげない。
昭和20年には、人々がここに伏して、玉音放送を受ける。
 
邸宅の一部は、病床の具視を見舞って明治天皇が御幸された居室として移転を重ね、今は関西に移築されているらしい。それはそれで驚く。
 
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シンプルなのに、ディテールは手が込んでいて、馴染み易い。
管理のおかーさんがとても感じの良い方で、お茶でも、とお誘いくださった。
帰りの際、何度も深々とお辞儀されるので、門を出る際にはこちらも日々鍛錬中の「深い礼」でいとまごいをした。